エレミヤ1章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ1:1 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。
1:2 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、
1:3 更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。
1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よわたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊しあるいは建て、植えるために。」

エレミヤは、神様から預言者としての召しを受けたとき、はじめから「諸国民の預言者」として、ユダヤ人のみならず、当時のすべての国の人たちに向けて神の御言葉を宣べ伝える使命を委ねられていたということが伺える。
これは、宣教する上での最も基本的なことで、目の前にいる人がどのような人であろうと、一人の人間として相対し、神の救いの言葉を告宣べ伝える事の重要性を教えているものと言える。
もちろん、私たちには、救われて欲しい人、愛する家族、隣人など、ごく限られた範囲でしか人と接する事はできない。
けれども、相手が誰であるかということは問題ではないはずなのだ。
この人に聖書のお話をしても、どうせ聞き入れてもらえないだろうとか、目上の人だから遠慮しておこうとか、果たして神様がそれを喜ばれるのか、よくよく考えながら、礼儀や節度を守りながらも、なんとしてでも宣べ伝える工夫をしていくべきではないかと思わされる。
もちろん、私はエレミヤではない。
しかし、エレミヤに対して語られた御言葉を私も聞いた。
ならば、聞いた者の責任として、私にできる範囲で、御言葉を宣べ伝えていかなければならないであろう。
恐れることなく、ひるむことなく、素晴らしい神の救いの約束の言葉を伝えていきたいものである。