アモス5:16 それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる。どの広場にも嘆きが起こりどの通りにも泣き声があがる。悲しむために農夫が嘆くために泣き男が呼ばれる。
5:17 どのぶどう畑にも嘆きが起こる。わたしがお前たちの中を通るからだと主は言われる。
5:18 災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。
5:19 人が獅子の前から逃れても熊に会い家にたどりついても壁に手で寄りかかるとその手を蛇にかまれるようなものだ。
5:20 主の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、輝きではない。
主なる神様は、神様にそむき続けてきたイスラエルに対する裁きの言葉を告げています。その様子は、もはや、どこへ逃れようとも安全な場所などないかのように、本来屋すらはずの場所である家の中にまで押し寄せているのです。
家庭崩壊という言葉さえ聞かれるような今の時代も、このような様に似ているのかもしれません。
そんな安らぎの場所さえ見失っている人たちに、本当の意味で心や安らうことのできる場所が、主なる神様の救いの約束の中にあることを覚えたいものです。
そういう意味で、聖書の御言葉に向かう黙想の時、リトリート等、今私たちが取り組んでいる働きは大切なものなのでしょう。