アモス2章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス2:1 主はこう言われる。モアブの三つの罪、四つの罪のゆえにわたしは決して赦さない。彼らがエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ。
2:2 わたしはモアブに火を放つ。火はケリヨトの城郭をなめ尽くす。鬨の声があがり、角笛が鳴り響く中で混乱のうちにモアブは死ぬ。
2:3 わたしは治める者をそこから絶ちその高官たちも皆殺しにすると主は言われる。
2:4 主はこう言われる。ユダの三つの罪、四つの罪のゆえにわたしは決して赦さない。彼らが主の教えを拒みその掟を守らず先祖も後を追った偽りの神によって惑わされたからだ。
2:5 わたしはユダに火を放つ。火はエルサレムの城郭をなめ尽くす。

モアブの犯した罪は、エドムの王の骨を焼くというもので、それはすなわち、既に墓に葬られた遺骨を掘り起こし、再びひどい仕打ちを与えようとするもの、なんとも非道なものです。
生きている者に対する尊厳の心はおろか、死者に対する尊厳の心すら、微塵のかけらもないことを示しているといえます。

昨日、ある方が、クリスチャンになると、仏を拝む心を失ってしまい、死者を尊厳する心を持たない者であるかのように思われてしまうということを話しておられました。
宗教が違うということで、まるで、非人道的な振る舞いをするかのような酷い誤解でありましょう。
むしろ、私たちは、死者に対する尊厳の心を誰よりもしっかりと持っているからこそ、死者のよみがえり、永遠の命の希望に心を留めているのです。
だから、仏を拝むのではなく、墓参りをするのでもなく、生きている人、その人の存在を尊び、今、愛を持って接することを大切にしていきたいと願わされるものです。

ルカ20:34 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、
20:35 次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。
20:36 この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。
20:37 死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。
20:38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」