使徒8章4~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

使徒8:14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。
8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。
8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。
8:17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、
8:19 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」
8:20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
8:21 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。
8:22 この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。
8:23 お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」
8:24 シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」
8:25 このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

ペトロとヨハネらが福音を宣べ伝えていた頃、彼らの働きによって聖霊が与えられることを人々は驚きのまなざしを持って受け留めていたことでしょう。
しかし、シモンと呼ばれる魔術師は、お金を支払って、このような力を手に入れたいと考えたのですが、ペトロとヨハネに一蹴され、彼らの働きが、そのような類のものではないことを示しています。

何かができること、優れた賜物を活かしたり、能力を発揮したりすること、それは、一見、人目には素晴らしいことのように見えるのですが、神の国の働きは、実は、そのようなこととは無縁であるばかりか、全く反対のことであると言えるかもしれません。
つまり、神の国とは、罪の悔い改めと赦しの約束であり、それを受け入れ、従うことによってもたらされるものであり、聖霊は、そのような働きをもたらすお方なのです。
自分がいかに罪人であり、神から遠く離れていた者であるか、それを覚えるとき、私たちは、ただただ、主イエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しを請うことしかできない者であることを思わされます。
しかし、そのような信仰に導かれるとき、そこに聖霊は働いているのです。
今一度、信仰の原点に立ち返り、何が最も重要なことであるか覚えたいものです。