士師記21:15 民はベニヤミンのことを悔やんだ。主がイスラエル諸部族の間を引き裂かれたからである。
21:16 共同体の長老たちは言った。「生き残った者に妻を与えるにはどうすればいいだろう。ベニヤミンの女は絶えてしまった。」
21:17 彼らはまた言った。「ベニヤミンに生き残る者を得させ、イスラエルから一つの部族も失われないようにしなければならない。
21:18 だが、わたしたちは、娘を彼らの嫁にやるわけにはいかない。イスラエルの人々は、『ベニヤミンに嫁を与える者は呪われる』と誓った。」
21:19 彼らは更に言った。「そうだ。年ごとにシロで主の祭りが行われる。」――シロの町はベテルの北側、ベテルからシケムに通じる大路の東側、レボナの南側にあった。
21:20 そこで彼らはベニヤミンの人々にこう言い渡した。「ぶどう畑に行って、待ち伏せし、
21:21 シロの娘がそろって踊りに出て来るのが見えたら、ぶどう畑から出て行って、シロの娘の中からそれぞれ妻にしようとする者を捕まえ、ベニヤミンの地に帰りなさい。
21:22 もし彼女らの父や兄がわたしたちに文句を言いに来たら、こう言おう。『我々に免じて憐れみをかけてやってほしい。我々は戦争の間それぞれ妻を迎えることができなかったし、あなたたちも彼らに娘を与えることができなかった。与えていたら、あなたたちは罪に問われたはずだ』と。」
21:23 ベニヤミンの人々はそのようにした。彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ。
21:24 イスラエルの人々もそのときそこを去り、それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った。そこからそれぞれ自分の嗣業の地に向かって出て行った。
21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。
イスラエルの人たちは、ベニヤミン部族との交流は絶ちながらも、イスラエルの部族が消滅することは良しとせず、ベニヤミン部族の者たちに、シロの町から嫁を迎え入れるように命じ、彼らはその通りにしています。
何か、煮え切らないような措置にも見えるのですが、それほど、イスラエルの民族が共同体として生き続けることが神様からの祝福の証と考えていたことなのでしょう。
しかし、士師記の最後の箇所に、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていたと記されていることから、人間の考え、人間の業によっては、やはり、不完全な祝福の形にしかならないということを教えているように思います。
本当の意味での祝福は、神の豊かな恵み、大いなる贖いのゆえにもたらされる赦しによる命の約束にあると言えるでしょう。
主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように。