士師記3章7~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

士師記3:7 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた。
3:8 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。
3:9 イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。
3:10 主の霊が彼の上に臨み、彼は士師としてイスラエルを裁いた。彼が戦いに出ると、主は、アラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡してくださったので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えることができた。
3:11 国は四十年にわたって平穏であった。こうしてケナズの子オトニエルは死んだ。

イスラエルの民は、主の目に悪とされることを行い、聖書はそれを、かれらの神、主を忘れ、他の神々に仕えることであると語っている。
何が善であり、何が悪であるかということは、人の価値基準によって幾らでも変わってしまう。ある人にとって、悪と思えることも、他の人にとっては益をもたらすものであったりする。そもそも、誰かにとって益になるとことは、その分誰かが損をしているはずだから、万人にとって益となることというのは、そうそうあるものではないのかもしれない。
しかし、主なる神は、すべての人の益となるために、ご自分を捧げられたお方。
ご自分の御子イエス・キリストの尊い命の代価を支払って、私たちを救うおうとされたのである。
実に、これが主の目に善なることなのだ。
ご自分を捨て、われわれ人間を救おうとされた主。
この神を忘れず、主と共に生きてきたいと思う。