ヨハネ19章8~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨハネ19:8 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、
19:9 再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。
19:10 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
19:11 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
19:13 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、
19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
19:16 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。

イエス様をピラトのもとに訴えたユダヤ人たちは、もはや後戻りできないほどに、イエス様を十字架刑にすることだけを考えるようになっていきます。
そのため、ローマ皇帝など、これっぽっちも尊敬し、従うべき君主などとは考えていなかったはずなのに、ただイエス様を殺す目的のために、あたかもローマ皇帝を拝するかのような発言までし始めるのです。

時々、世界の各地で、デモや暴動のニュースを聞くことがあります。
おおよそ、ニュースになる頃には、当初の目的は見失われ、ただ普段の生活に対する不満などのはけ口となっている場合が多いように思います。
目的と行動は必ずしも一致しないのか、それとも、便乗しているだけなのか。

何かのデモに便乗し、不満を訴えている姿は、いかにも不誠実な人間の姿を表しているように思います。
願わくは、真実な求めを、真実な形で、真実なるお方に訴えることができますように。