ヨブ34章1~37節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ34:10 さて、分別ある者は、わたしの言葉を聞け。神には過ちなど、決してない。全能者には不正など、決してない。
34:11 神は人間の行いに従って報いおのおのの歩みに従って与えられるのだ。
34:12 神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない。
34:13 誰が神に全地をゆだね全世界を負わせたというのか。
34:14 もし神が御自分にのみ、御心を留めその霊と息吹を御自分に集められるなら
34:15 生きとし生けるものは直ちに息絶え人間も塵に返るだろう。
34:16 理解しようとして、これを聞け。わたしの語る声に耳を傾けよ。
34:17 正義を憎む者が統治できようか。正しく、また、力強いお方をあなたは罪に定めるのか。
34:18 王者に向かって「ならず者」と言い貴い方に向かって「逆らう者」と言うのか。
34:19 身分の高い者をひいきすることも貴族を貧者より尊重することもないお方御手によってすべての人は造られた。
34:20 これらの人も瞬く間にしかも真夜中に、死んでいく。権力ある者は身を震わせて消え去り力ある者は人の手によらず、退けられる。

人間が正しいと思っていること、それは、果たして本当に「正しい」ことなのだろうか。
ヨブは自分が正しいと思っていた。しかし、エリフは彼に対して、人間とは比較にならないほどの正しさを持つ神の義について語る。
人間が思う正しさは、必ず、己の利己心が働いている。
しかし、神の義には、それがない。
他者への愛、しかも、罪人を救い、これを活かそうとなさる命の約束を伴った、尊い正しさである。
私たちは、そこに目を留めるべきであろう。
その時、神を侮ったり、つぶやいたりしていること自体が、自分の正しさを証明していないことに気がつくのである。
エリフを通して語られる神の御言葉に聞き従う者でありたい。