ルカ17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
17:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。
17:23 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。
17:24 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。
17:25 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。
神の国とは、見える形では私たちの前に存在するのではなく、御言葉が語られるところ、そして、その語られた御言葉に信頼し、救いの恵みに与る者のうちに存在するものである。
この点について、イエス様の語られた御言葉の中で興味深いことは、イエス様ご自身が多くの苦しみを受け、当時の人たちから排斥されることになっていると語られたことだ。
つまり、イエス様の御受難の中にこそ、本当の神の国の到来があり、経済的にも、身体的にも何もかもが上手く行っているようなバラ色のような状態を指して「神の国」と呼んでいるのではないことである。
イエス様は、この世の富や宝に執着し、この世に留まろうとする者は、そこに取り残され、真の神の国へ入れなくなってしまうことを警告しておられる。
何が本当に大切なのか、今一度、御言葉に聞き、御言葉から学んでいけるように務めていきたいものである。