イザヤ35章5~8節、2テモテ4章5~11節、ルカ10章1~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
10:2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
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10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

人は、神のなさる様々な奇跡の御業を見て、心動かされ、神を信じるようになります。実際、イエス様に遣わされた弟子たちも、主イエスの御名によって成される様々な奇跡の数々に驚き、喜んでいたのです。
しかし、弟子たちの驚きや喜びとは裏腹に、主イエス様は、彼ら自身が救われている事実を喜ぶように勧められるのです。

これはとても大切なことであると言えます。
私たちも、つい、目に見える華々しい活躍がなければ、神の存在や働きを見ようとはしません。しかし、何よりも、この私が救われている事実、これこそが本当の奇跡であり、ただこの事実をもって、神に栄光を表すことが大切であると言えるでしょう。

本日は、福音書記者ルカの日となっています。
ルカは、もともと医者であったと言われています。
そして、主イエスの名によってなされる数々の癒しや奇跡を目の当たりにし、どんなに大きな驚きを持ってイエス様をほめたたえていたことでしょう。
しかし、彼を最後まで忠実な僕として導いたのは、そんなイエス様のなさった奇跡の御業の数々よりも、ルカ自身が救われたこと、天に自分の名前が記されている喜びの故であったことでしょう。
でなければ、テモテの手紙に記されているように、パウロと共に、牢獄での生活までも甘んじることはなかったはずです。
かれを突き動かしたもの。
ただ一つの救われているという事実。
そこに私たちも目を留めて歩んでいきたいものです。


イザヤ35:5 そのとき、見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。
35:6 そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。
35:7 熱した砂地は湖となり乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは葦やパピルスの茂るところとなる。
35:8 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ愚か者がそこに迷い入ることはない。