ヨシュア5章13~15節、黙示録12章7~12節、ルカ10章17~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

黙示録12:7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、
12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
12:9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
12:10 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。
12:11 兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
12:12 このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」

本日は天使ミカエルの日となっている。
聖書における天使ミカエルの記述には、悪魔とその支配下にある者たちを打ち倒す、力強い姿が描写されており、頼もしい存在であるように思う。
しかし、イエス様との関連で見るとき、果たしてイエス様はどうであったか。
イエス様も最終的には悪魔を打ち倒されたが、ある時は、悪魔の手によって様々な誘惑にさらされ、あるいは、一人の人として、十字架の死に至る御受難をお受けになられたことを思う時、ある意味、ミカエルとは対照的なようにも思える。
ミカエルは力強く悪魔を退治し、一方で、イエス様は、まるで悪魔に翻弄されてばかりの我々人間と同じように悪魔と立ち向かわれたように思う。
しかし、だからこそ、このようなイエス様のお姿に、「私たちのために」「私たちの身代わりとなって」悪魔との闘いに立ち向かっていかれたイエス様の心を見ることができるのではないだろうか。

今、世間では、軍事力を使することに関して、あちこちで取りざたされている。
イエス様はどうであられたか。

マタイ26:51 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
26:52 そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。
26:53 わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
26:54 しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」

イエス様は、天使ミカエルにもお命じになられることのできるお方。
その方が、剣を用いず、御自分の身一つで、私たちの完全な救いを成し遂げられたことに大きな意味があるのではないだろうか。
偉大なる勝利者、神の御子イエス・キリストをほめたたえます。