コヘレト8章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト8:1 「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる。」賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。
8:2 それは、わたしだ。すなわち、王の言葉を守れ、神に対する誓いと同様に。
8:3 気短に王の前を立ち去ろうとするな。不快なことに固執するな。王は望むままにふるまうのだから。
8:4 王の言った言葉が支配する。だれも彼に指図することはできない。
8:5 命令に従っていれば、不快な目に遭うことはない。賢者はふさわしい時ということを心得ている。
8:6 何事にもふさわしい時があるものだ。人間には災難のふりかかることが多いが、
8:7 何事が起こるかを知ることはできない。どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。
8:8 人は霊を支配できない。霊を押しとどめることはできない。死の日を支配することもできない。戦争を免れる者もない。悪は悪を行う者を逃れさせはしない。
8:9 わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。
8:10 だから、わたしは悪人が葬儀をしてもらうのも、聖なる場所に出入りするのも、また、正しいことをした人が町で忘れ去られているのも見る。これまた、空しい。

先日行われた参議院選挙では、一応、私も権利として一票を投じた。
私の一票が国の政治を動かす力になるのかどうかはわからないが、選挙の結果、自民党が大敗し、野党が過半数を占めるという状況になり、今後、大きな動きが生じるであろうことは間違いない。
大きなうねりの中で、私という存在は、あまりにも小さな一人にしか過ぎないが、これに逆らって生きるより、流れの中に身を置きながら、そこで私はどう考え、どう生きるべきか、その都度、冷静に判断していくより他、仕方が無い。
しかし、それで良いのだろう。
時流に沿う、ふさわしい生き方というものが必ずあるのだから、無理に反抗して、自分を見失うよりも、流れを見極めながら、その上で、自分のなすべき役割を果たせていけたらと思う。