コヘレト6:7 人の労苦はすべて口のためだがそれでも食欲は満たされない。
6:8 賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが貧しい人に何かの益となろうか。
6:9 欲望が行きすぎるよりも目の前に見えているものが良い。これまた空しく、風を追うようなことだ。
6:10 これまでに存在したものはすべて、名前を与えられている。人間とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはできない。
6:11 言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何になろう。
6:12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。
あまり考えたことも無いが、果たして自分の人生は、後の人たちに、どういう風に覚えられていくのだろうか。
おそらく答えは、忘れ去られる、である。
自分ですら、自分の一生の全てを覚えているわけではない。
ましてや、子供や孫たちが、自分のことに興味を持ってくれることなどありえない。
もちろん、歴史の中には、その名を覚えられる人も幾らかはいるであろう。
しかし、さりとて、その全てを覚えていられる人などいない。
そう思うと、私の人生とは、何と空しいものなのだろうかと思わないでもない。
しかし、それら全ての人生の日々のことを覚えていて下さる方がいる。
それが神である。
だから、私の人生は、神なしには何の意味もないものであると言えるのだ。
我神を信ず。故に我有り。
私の人生が「影」のようなものではなく、「実体」であるためにも、私は神を信じている。