申命記31章1~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記31:1 モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、
31:2 こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。
31:3 あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。
31:4 主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。
31:5 主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。
31:6 強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
31:7 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。
31:8 主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

強く、また雄々しくあれ。

このメッセージは、ヨシュア記1章の御言葉が有名であるが、申命記において、モーセの最後のメッセージとして語られていることは興味深い。
生来、口が重く、勇気もなかったモーセ。しかし、そのモーセが、もうすぐ約束の地というところまでやってくることができたのも、主の御言葉に聞き従い続けて来たからに他ならない。
自分を見れば、弱く、小さな存在で、何もできないばかりか、失敗、挫折、絶望に囚われてしまうものであるが、主が共にいて主が導いて下さるのだということを信じる時、人ははじめて、一歩、踏み出していくことができるのだろう。
どんな道を行こうとも、主が共にいて下さることを覚え、歩みだして行こう、と思う。