申命記30:1 わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、
30:2 あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、
30:3 あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。
30:4 たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。
イスラエルの民は、彼らの思いを優先するあまり、主の御言葉に背き、主から離れていってしまいました。
そして、そのため、各地に散らされてしまうことになります。
しかし、もう一度原点に返り、主の御声に聞き従うことに立ち返るならば、たとい全世界に散らされていたとしても、主なる神のみ手によって、再び集められるというのです。
人の思いも心も、物理的にもバラバラになってしまっているような時代。
私たちは、今一度、「人とは何か」、バラバラではない、統合された人生を歩むためには、何が必要か、よくよく考えなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
主の御言葉に聞くこと。
それは、そう難しいことではありません。
申命記30:11 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。
30:12 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
30:13 海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
30:14 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
私たちの主イエス・キリストが、私たちために全ての律法の務めを果たして下さったからこそ、私たちの救いの約束は、もはや難しいものではなく、口にして、言葉に言い表して受け取ることのできる恵みであることを覚えたいものです。
ローマ10:5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。
10:6 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
10:7 また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。
10:8 では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。