ルカ22章24~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」

先日、ある本を読んでいて、ヨーロッパなどの一部の国には、今尚きちっとした階級社会があり、普段は質素な生活ぶりをしているごく普通の人達が、いざパーティーともなると、服装からバリッと正装を着こなし、日頃の生活ぶりからは考えられないような話題や立ち居振る舞いなどに驚かされたという話が書かれていて、興味深く読みました。
そう言えば、日本には「お金もち」という言葉はあっても「上流階級」という言葉はないのかもしれない、そんな風に思わされました。
その辺りをきちんと理解しておけば、単なる成金の輩が偉そうにふるまったりするという、ごく日本的な光景が、いかにおそまつなものであるかということに気づかされるのではないでしょうか。
もちろん、きちんとした階級のある社会では、もっといろいろ大変なこともあるのでしょうが、たとえ上流階級に生まれなくても、人として、ある種の品のよさというものは、いくらでも修正することのできる領域であると思うのです。
簡単なところから言えば、まず人の話を聞くとか。意外とこれが難しい。
そして、人に仕える。これは、さらに難しい。
でも、それが出来るようになると、実に素晴らしい立派な人であると言えるのでしょう。
主イエス様がそうであられたように、人を救うために仕える者でありたいものです。