申命記4:41 モーセはその後、ヨルダン川の東側に三つの町を定め、
4:42 意図してでなく、以前から憎しみを抱いていたのでもないのに、隣人を殺してしまった者をそこに逃れさせ、その町の一つに逃れて生き延びることができるようにした。
4:43 それは、ルベン領の台地の荒れ野にあるベツェル、ガド領ギレアドのラモト、マナセ領バシャンのゴランである。
人の世には、意図してではなく、憎しみを抱いていたのでもないのに、人を死に至らしめてしまうことは起こりうることでしょう。
しかし、被害者となった者の立場にすれば、それはなかなか赦すことはできないもの。どうしても、敵討ちのような気持ちを抱いてしまうものです。
そんな人の弱さを考慮して、加害者となってしまった者と被害者の側の者とが共に顔をあわせて暮らさなくても良いようにと、モーセは「逃れの町」を設け、そこに、加害者たちを住まわせるようにしたのです。
なかなか細やかな配慮であると思います。
私たちの生活する社会の中にも、こういった仕組みがあれば、もう少し、スムースな人間関係の中に暮らしていけるのかもしれません。
そもそも、私たちは、神様に対して、意図的に背こうと思っていなくても、結果的に、神様の御心に反した行動を取ってしまうこともあります。そんな時、私たちにとっての逃れの町とは、まさに、イエス様の十字架がそれに値するのではないかと思います。
詩篇17:6 あなたを呼び求めます 神よ、わたしに答えてください。わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
17:7 慈しみの御業を示してください。あなたを避けどころとする人を 立ち向かう者から 右の御手をもって救ってください。
17:8 瞳のようにわたしを守り あなたの翼の陰に隠してください。