1テモテ5章17節~6章2節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1テモテ5:17 よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。
5:18 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。
5:19 長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。
5:20 罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。
5:21 神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。
5:22 性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。
5:23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。
5:24 ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。
5:25 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。
6:1 軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです。
6:2 主人が信者である場合は、自分の信仰上の兄弟であるからといって軽んぜず、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その奉仕から益を受ける主人は信者であり、神に愛されている者だからです。これらのことを教え、勧めなさい。

「牧師なんて、貧乏ぐらいがちょうどいいのよ」
あるクリスチャン信徒の方が私に言い放った言葉です。
別に私もそれに対して否定するつもりはないのですが、せめて、聖書の御言葉を神の言葉として信じている者ならば、このテモテの手紙の言葉に記されている御言葉に従い、御言葉と教えのために労している働き人に対し、少しは敬意を持って接することのできる者であって欲しいと思います。
牧師を敬って欲しいとか、そういう事ではなく、何を信じ、何に従うのか、私たちは、聖書の御言葉が生ける真の神の御言葉であると信じている者だから、聖書の御言葉に聞き、従おうとしている者であるということを忘れずにいたいものです。
そして、それらのことによって「神の御名と教えが冒涜されないようになる」ように努めていきたいものです。