1ペテロ3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。
3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
3:10 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
3:12 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
3:13 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
3:14 しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
3:16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。
3:17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。
3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
ペテロの手紙には、たとい義のために苦しむようなことがあっても、キリストの恵みの故に救われた者として、善に熱心であるようにと勧められています。
それは、主イエス様ご自身がそういうお方であったからであり、「私たちを救うため」という、神様の尊い義の約束を成し遂げるために十字架の死に至るまで御苦しみを受けられたからこそ、私たちも恐れることなく、苦しみをも甘んじるためであると言えるでしょう。
そして、私たちだけではなく、私たちの振る舞いを見た人が、一人でも多く主イエス様を信じて救われるために、善に熱心であるようにと勧められているのです。
私たちが善に対して熱心でいることの理由、それは、全て、神への服従と、それによって導かれる、他者への愛のためでなければなりません。
もし、その心がかけているならば、単なるおせっかいか、いわゆる「偽善」と言われるような「善人と思われたいというよこしまな思い」に動かされているだけとなってしまいます。
神様に救われた者として、神が願われることにお仕えするため、神が望んでいらっしゃる「一人の魂が救われること」のために、そして、そのことを通して主イエス様の御名があがめられ、神に栄光を帰すことができますように。
全ての善は、そこから始まります。
全ての人に、神の恵みと祝福がありますように。