詩篇66:10 神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。
66:11 あなたは我らを網に追い込み 我らの腰に枷をはめ
66:12 人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったが あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた。
私たちの人生には、様々な出来事が起こります。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことや、辛いことなど、それこそ、人の数だけ、それらの出来事も様々です。
しかし、ある人はこう言います。
「神様がおられるのなら、どうして、こんな悲しいことや、辛いことがあるのしょうか?」と。
しかし、神様は決して偏ったことをなさったり、意味なく懲らしめようとされたりはしないお方です。様々な出来事を通じて、私たちを強めてくださろうとしていらっしゃるのでしょう。
そう受け止めることができるかどうかの鍵は、自分を客観的に見つめることができるかどうかにかかっていると思います。
つまり、自分の中に、非があるかどうか見定められるかいなか。
自分の中に非があるということを認められない人は、どうしても自己中心的になりがちです。そして、すべての悪は私の外にあり、周りの人間が悪いのだと決め付けます。そうすると、神様のなさる、いわゆる「懲らしめ」の業も、受け付けようとはせず、不平不満ばかり。
私たち人間は、神様よりも偉いのでしょうか?
ヨナ4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
4:2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
4:3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
4:4 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」
今一度、神様の前に静まって、己が何者なのか、なぜこのような出来事を経験させて頂いているのか、祈りつつ考えたいものです。
詩篇66:12 人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったが あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた。