ガラテヤ3章21節~4章7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ3:21 それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそうではない。万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。
3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
3:23 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

私たちは、神の恵みの御業、すなわち、神の御子、主イエス・キリストの十字架の贖いの故に、その御業を信じる信仰によって救われます。
これが聖書に約束された「福音」の言葉であり、私たちにとって、何物にも勝る最高の喜びの言葉であるといえます。
一方、律法の言葉は、福音の言葉によって、もはや無意味なものとなったわけではありません。
むしろ、イエス・キリストの十字架を見上げれば見上げるほど、神の御子なるお方が、この私の身代わりに罪に対する罰をお受け下さったということを知らしめられるのであって、決して「不必要」な言葉ではないのです。
むしろ、聖書に記されている通り、キリストのもとに導く養育係りとして、私たちに語りかけているのです。
だからこそ、私たちは、律法の言葉もおろそかにはしません。
律法の求める言葉を「守る」ためにではなく、「守れないから、キリストの救いを必要とする」ために。

ガラテヤ4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
4:5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。

私たちを「神の子」となさるために、神の御子イエス・キリストが私たちの身代わりとなって十字架で死なれたこと、感謝しつつ、この主の御言葉に従って行きたいものです。