エレミヤ42章1~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ42:1 カレアの子ヨハナンとホシャヤの子エザンヤをはじめ、すべての軍の長と民の全員が、身分の上下を問わず、訪ねて来て、
42:2 預言者エレミヤに言った。「どうか、我々の願いを受け入れてください。我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください。御覧のとおり、大勢の中からわずかに、我々だけが残ったのです。
42:3 あなたの神である主に求めて、我々に歩むべき道、なすべきことを示していただきたいのです。」
42:4 預言者エレミヤは答えた。「承知しました。おっしゃるとおり、あなたたちの神である主に祈りましょう。主があなたたちに答えられるなら、そのすべての言葉をお伝えします。」
42:5 すると、人々はエレミヤに言った。「主が我々に対して真実の証人となられますように。わたしたちは、必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います。
42:6 良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから。」

主なる神様の御心を尋ねるということは、その内容がいかなるものであっても、文字通り、良くても悪くても、主の御言葉に聞き従う信仰が必要です。
先日、ある方が、私の息子を養子に欲しいと言ってこられました。私は、あまりにも唐突なお願いであるし、私の心のうちに、なんの平安も喜びも感じられないため、一応「御心ならね…」とだけ答えたはずなのですが、その方は一歩も引こうとせず、「今がだめだというのなら、子供さんが成人してからでも良いから」と言って譲ろうとしませんでした。
しばらく話し合ったものの、結局、いつまでたっても話は平行線をたどり、神様の御心にゆだねるということの意味を理解してもらうことはできませんでした。

神様は最善をなしてくださる。
だからこそ、神様の御心にゆだねる。
ただそれだけなのです。
そこに、私の願いや願望などというものが優先されるような「御心」などというものはないのです。

今あなたは、神様の御心に先んじて、あなたの心の中に、すでに結果が決まっていないでしょうか。まず結果ありき、という姿勢では、正しい神様の御心は受け入れられないことを覚えておきたいものです。