エレミヤ41:10 イシュマエルは、王の娘たちをも含めて、ミツパにいた民の残留者すべて、すなわち、親衛隊の長ネブザルアダンがアヒカムの子ゲダルヤの監督のもとにおき、ミツパに残っていた民をすべて捕虜とした。ネタンヤの子イシュマエルは彼らを引き立てて、アンモン人のもとに逃れようと出発した。
41:11 カレアの子ヨハナンをはじめとする軍の長は皆、ネタンヤの子イシュマエルが行った悪事を聞き、
41:12 直ちに、すべての兵を率いてネタンヤの子イシュマエルと戦うために出発し、ギブオンの大池のほとりで彼に追いついた。
41:13 イシュマエルに捕らえられていた人々は皆、カレアの子ヨハナンと軍の長たちの姿を見て歓喜した。
41:14 イシュマエルがミツパから捕虜として連行した人々は、一斉に身を翻してカレアの子ヨハナンのもとに帰って行った。
アモン人の王バアリスの遣わしたイシュマエルの手によって、指導者を失ったユダの残りの者たちは、イシュマエルの捕虜となり、ミツパにとどまります。
しかし、その後、ゲダルヤが殺されたことを聞いて駆けつけたヨハンナのもとに身を寄せ、今度は、ヨハンナと行動をともにすることになります。
争いの絶えない時代、いつの時代でも、指導者同士の争いや下克上とも呼ばれるような部下たちの台頭などによって、新たなリーダーが立てられていくものです。
しかし、新たなリーダーとして立てられた者も、時が経つにつれて、だんだん古い者となり、次第に「驕り」「高ぶり」などが芽生え始めてくるものです。
ゲダルヤに変わって新たなリーダーとなったヨハンナ。
彼らのこの後の行動については、後日触れるとして、彼らはやがて、預言者エレミヤの言葉に逆らって行動していくことになっていきます。
やはり、いつの時代にも、人の上に立つということは、常に誘惑が付きまとうものなのかもしれません。
しかし、どんなに体制が変わり、時の権力者たちが変わったとしても、正しい裁きをなさる神様は、常に私たちの生き様を見張り、私たちがどのように生きていくかを見届けていらっしゃいます。
それは、試練の中にある時だけでなく、むしろ、順境の時に当てはまることだということを覚えておきたいものです。
というのも、私たち人間は、試練の中にある時よりも、順調に行っている時のほうが神様を忘れてしまいがちだからです。
すべてのことが順調に行っている時も、主なる神様が等しく見届けていらっしゃることを覚えたいものです。
箴言15:3 主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。