エレミヤ5章1~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ5:20 これをヤコブの家に告げ、ユダに知らせよ。
5:21 「愚かで、心ない民よ、これを聞け。目があっても、見えず耳があっても、聞こえない民。
5:22 わたしを畏れ敬いもせずわたしの前におののきもしないのかと主は言われる。わたしは砂浜を海の境とした。これは永遠の定めそれを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえずとどろいても、それを越えることはできない。
5:23 しかし、この民の心はかたくなで、わたしに背く。彼らは背き続ける。
5:24 彼らは、心に思うこともしない。『我々の主なる神を畏れ敬おう雨を与える方、時に応じて秋の雨、春の雨を与え刈り入れのために定められた週の祭りを守られる方を』と。
5:25 お前たちの罪がこれらを退けお前たちの咎が恵みの雨をとどめたのだ。」
5:26 「わが民の中には逆らう者がいる。網を張り鳥を捕る者のように、潜んでうかがい罠を仕掛け、人を捕らえる。
5:27 籠を鳥で満たすように彼らは欺き取った物で家を満たす。こうして、彼らは強大になり富を蓄える。
5:28 彼らは太って、色つやもよくその悪事には限りがない。みなしごの訴えを取り上げず、助けもせず貧しい者を正しく裁くこともしない。
5:29 これらのことを、わたしが罰せずにいられようか、と主は言われる。このような民に対し、わたしは必ずその悪に報いる。
5:30 恐ろしいこと、おぞましいことがこの国に起こっている。
5:31 預言者は偽りの預言をし祭司はその手に富をかき集めわたしの民はそれを喜んでいる。その果てに、お前たちはどうするつもりか。」

主なる神様は、私たちを祝福するために、真の神に立ち返るよう悔い改めを迫られている。しかし、民はそれに対し「あなたの裁きなど恐れるに足らぬ。裁くというなら、どうぞ、遠慮なく裁きをもたらせば良い」といった不遜な態度で、一向に悔い改めようとせず、強欲と傲慢に満ちた生き方を変えようとはしない。
そして、その結果、この国に滅びがもたらされようとしている。

そんなことを考えていると、まるで、現代の私たちの国の人たちのことではないだろうかと思えてくる。いつまで本当の神様の前に立とうとしないのだろう。きっと、本当の意味での裁きの恐ろしさを知らないからなのだろう。みんな、神の裁きを侮っているから、神を恐れず、自分の好き勝手な生き方を続けているのだろう。

悔い改める時に「いつ」とか「いつか」ということはない。「今」が悔い改めにふさわしい時であろうと思う。
そして、神様の前に「今」悔い改めるなら、それは、恵みの時と代わるのである。

ヨエル2:12 「しかし、今、・・主の御告げ。・・心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
2:13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
2:14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。