1コリント15章35~49節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1コリント15:35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。
15:37 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
15:38 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。
15:39 どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。
15:40 また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
15:41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
15:42 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
15:43 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。

私たちの教会は、宣教開始から50年以上を経ていて、月日の経過と共に、会堂もかなりくたびれてきています。そのため、時々教会員の方が「今度は、会堂の壁を奇麗に直したいね」とか、「外壁を塗りなおさないとね」といったような会話をされているのを聞くことがある一方で、「この会堂は、今のままで良い」とか「もうこれ以上この会堂にお金をかけるのはもったいない」とか言った言葉を耳にすることもあります。
私は、確かに、新しい会堂を建てることも良いだろうと思うのですが、このままでも使えるものを壊してしまうのも、なんだかもったいないような気もしますし、今のままでも良いのではないだろうかと考えています。
いずれにせよ、いまの古い会堂に幾ら手を加えても、新しい会堂を建てることに優る事はないということは間違いないと言えるでしょう。

私たちの体についても同様なことが言えるのではないでしょうか。今の体に、幾ら手をかけ、まるでつぎはぎのように修復しようと試みても、決して、本質的に、新しい体に変えられる事はなく、主なる神様の約束してくださった永遠の命による、新しい体への更新でなければ、新しくされることはないということを覚えておきたいものです。
もちろん、病気や怪我をして、そのまま放置しておいて良いというわけではありませんが、例えば、クローン技術を使って、自分の臓器を再生して、移植しなおしたりといったことは、あまり意味のないことである、と私は思います。
今の体は、朽ちなければならない。しかし、それは、朽ちない体、滅びない命に更新されるためであるということ。それは、人間の力では不可能なことであるけれども、栄光の神の御業によって可能であること。
だからこそ、主に栄光をお帰しするのです。ハレルヤ!