日時:2006年4月2日
聖書箇所:ルカ22章39~53節
ゲッセマネの園におけるイエス様の祈りからは、ひどく恐れていらっしゃる様子が伺えます。
このことは、イエス様が、確かに真の人となり、私たちと同じように、恐れや悲しみ、苦しみや不安などを味わわれたということを示しています。
成長の解説にもそのことが記されていて、ヨハネ1章やピリピ2章において「神のあり方を捨てられないとは考えず」「人となって私たちの間に住まわれた」証であるということが語られています。
この「神のあり方を捨てられないとは考えず」ということは、すなわち、「神であることを捨てることができる」ということであり、ある領域では、神の全能の力を用いることなく、普通の人間と全く同じ姿で過ごされたということであり、実際「神のあり方を捨てられた」と言っても過言ではありません。
イエス様の十字架の御受難のお姿こそ、それを表しているわけですが、その際、イエス様は、純粋に人として、恐れや苦しみだけを味わわれておられるのですが、同時に、この十字架のイエス様のお姿こそ、私たちに対する神様の愛の現われであることを思う時、イエス様が神の力を用いるのではなく、純粋に人として、私たちを愛し通して下さったという事実を忘れてはならないと思うのです。
イエス様は神にして人であるお方。人として、完全な愛を持って私たちを愛して下さることのできる唯一のお方。
イエス様は、ただ人として苦しまれたのではなく、人として愛してくださるが故に苦しまれたお方であることを覚えたいものです。