出エジプト16章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト16:4 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。
16:5 ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」

出エジプト記16章には、いわゆる「マナ」と呼ばれる不思議な食物を神様がイスラエルの民に与えた時の事が記されています。
ここで、主なる神様は、モーセを通じ、イスラエルの民に対して、毎日必要な分だけ集めるように命じているのですが、ある者は翌日の食料を蓄えようと思って余分に集めたりしています。しかし、それらの蓄えは、翌日には腐ってしまったり、神様の仰せられた通り、その日その日の分だけしか民の手元に残らないようになっていました。
神様の命じられるままに信じて行動すれば良いものを、人間とは、どこまでも欲深い存在なのだろうかと思わされます。
イエス様も次のようにおおせられます。

ルカ12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

財産を持つことが、即、悪いことであるというわけではありませんが、それを、どう用いていくか、そもそも、財産とは、何のためにあるのかを考えながら、神様の御心を求めながら、神の国の栄光のために用いていきたいものですね。
それこそが、本当に豊かな生き方であると言えるのでしょうね。