創世記27章1~45節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記27:13 母は言った。「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」

創世記27章には、イサクの息子ヤコブが、双子の兄エサウをだまし、長男の受けるはずの祝福を奪い取ってしまうことが記されています。
この時、ヤコブが祝福を受けるように策を考え、彼に指示を与えたのは、彼らの母リベカであり、彼女は、このようなことが悪いことだとわかっていながら、たとえそのために自分が呪われなければならなくなったとしても、愛する息子ヤコブに祝福を継がせたいと考えたのです。
母の愛と言うか、親が子供のために犠牲になっても構わないという姿勢がここに見る事ができます。
イエス様も、そんな思いで、私たちのために呪われた者となって下さったのでしょう。

ガラテヤ3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
3:14 それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。

イエス様の十字架の身代わりの死、それは、私たちの思いをはるかに超えた、想像を絶するほどの深い愛の故に歩まれたものであり、イエス様が私たちの身代わりとなって呪われた者として十字架で死に、その代わりに、本来神の一人子であられるイエス様が受けられるはずの祝福を、私たちが代わりに受けることができるようにするためのものなのです。
このことのために、自らの命を犠牲にして、十字架に死に行かれたイエス様。
少しでもそのお気持ちに応えることができるよう、祝福された者であるという幸いを覚え、イエス様に信頼して歩む者とならせていただきたいものです。