マタイ11章20~24節の箇所には、ガリラヤ湖周辺の町々で、イエス様が数多くの奇跡を行われたにも関わらず、いっこうに悔い改めようとしなかったため、裁きの日には、ツロやシドンに対する裁きよりも重い裁きを受けなければならないだろうと仰せられたことが記されています。
悔い改めるということの大切さを思わされます。
ところで、イエス様が嘆かれたベトサイダという町は、あのペテロとアンデレ兄弟の出身地でもありました。
ヨハネ1:44 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
ベトサイダの町の多くの人たちがイエス様を受け入れようとしない中、ペテロとアンデレ、そしてフィリポらは、イエス様を神の子と信じ、しかも、弟子として従って行ったのです。
ということは、町自体が悪いのではなく、そこに住む一人一人の問題なのでしょう。
今、私たちの暮らす日本はどうでしょう。「この国にいたら、キリスト教は根付かない」と半ばあきらめていないでしょうか。イエス様を信じるかどうかは、一人一人の問題なのですから、きっと、この日本の国でも、第2のペテロ、第2のアンデレは現れるはずだ、と私は思います。
私もそうでした。
誰一人、イエス様のことなど聞こうとしない人たちの中で、イエス様の御語りになる御言葉を聞き、イエス様に従って生きて行こうと願ってきました。これからもそうしていくことでしょう。
そして、願わくは、もはや滅びを免れることのできないソドムとゴモラの町の人たちのため、必死になって、とりなしの祈りを捧げたアブラハムのように、この日本の国に住む方々の救いのために、とりなしの祈りを捧げ続けていきたいものです。
創世記18:32 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
18:33 主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
主よ、この日本の国住む方々を、どうか一人でも多くお救い下さい。
主の御名によってお願いします。