イザヤ49章1~7節、詩篇71篇1~14節、ヨハネ12章20~36節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 49:1 島々よ、わたしに聞け 遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び 母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
49:2 わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して
49:3 わたしに言われた あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
49:4 わたしは思った わたしはいたずらに骨折り うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり 働きに報いてくださるのもわたしの神である。
49:5 主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は
49:6 こう言われる。わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
49:7 イスラエルを贖う聖なる神、主は 人に侮られ、国々に忌むべき者とされ 支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が あなたを選ばれたのを見て。

詩篇 71:1 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく
71:2 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。
71:3 常に身を避けるための住まい、岩となり わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。
71:4 わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から 悪事を働く者、不法を働く者の手から わたしを逃れさせてください。
71:5 主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み
71:6 母の胎にあるときから あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。
71:7 多くの人はわたしに驚きます。あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。
71:8 わたしの口は賛美に満ち 絶えることなくあなたの輝きをたたえます。
71:9 老いの日にも見放さず わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
71:10 敵がわたしのことを話し合い わたしの命をうかがう者が共に謀り
71:11 言っています 「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と。
71:12 神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。
71:13 わたしの魂に敵対する者が 恥に落とされ、滅ぼされますように。わたしが災いに遭うことを求める者が 嘲りと辱めに包まれますように。
71:14 わたしは常に待ち望み 繰り返し、あなたを賛美します。

ヨハネ 12:20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
12:21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
12:22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
12:26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
12:27 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
12:28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
12:29 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
12:30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
12:31 今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
12:32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
12:33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
12:34 すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
12:35 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
12:36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」


イエス様は、これからご自分が捕らえられて殺されることをご存知であられ、そのことについて「栄光を現わす時が来た」と仰せられている。
しかし、イエス様の死の出来事は、単にイエス様が殺されるだけのことではなく、その死によって多くの人が救われるからこそ、神の栄光が現されるというのである。
それほどに、イエス様は、私たちが救われることを願われ、神の栄光の現われと仰せられているということであろう。

ヨハネ12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

もし、イエス様が自分の命を惜しみ、十字架にかけられてころされることを拒まれたなら、私たちの救いは無かった。
ご自分の命よりも、私たちが救われる事のほうを願われたのである。
なんとも有難く感謝なことである。
私たちの救いのために、人としてこの世に来られ、十字架の死へと歩まれたイエス様を覚え、感謝のうちに、与えられた命を生きていきたいものである、