イザヤ5章1~7節、詩篇63篇2~9節、ルカ6章43~45節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 5:1 わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に ぶどう畑を持っていた。
5:2 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り 良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
5:3 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
5:4 わたしがぶどう畑のためになすべきことで 何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
5:5 さあ、お前たちに告げよう わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ 石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
5:6 わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず 耕されることもなく 茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
5:7 イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑 主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに 見よ、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに 見よ、叫喚(ツェアカ)。

詩篇 63:2 神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは 乾ききった大地のように衰え 水のない地のように渇き果てています。
63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄えを見ています。
63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。
63:5 命のある限り、あなたをたたえ 手を高く上げ、御名によって祈ります。
63:6 わたしの魂は満ち足りました 乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい わたしの口は賛美の声をあげます。
63:7 床に就くときにも御名を唱え あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。
63:8 あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。
63:9 わたしの魂はあなたに付き従い あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。

ルカ 6:43 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
6:44 木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。
6:45 善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」


最近、口を開けば不平・不満や他者に対する批判の言葉ばかり言っているような気がする。
今のところ、そこまで面と向かって他人に言い放ったりしないで、家の中で終わらせるようにしているけれど、聞かされている家族にとっては、たまったものではないだろう。
大いに反省もし、もっと心から隣人を愛し、隣人のために喜んでもらえる言動をとは思う。
その気持ちに嘘はない。
けれど、どうして、こう次から次へと悪い言葉が口からあふれてくるのだろう。
きっと死ぬまでこうした現実は変わらないのだろう。
クリスチャンになったばかりの頃、小教理の学びで覚えているのは、牧師先生が言われた言葉であり「よく、『思ってもないことを言ってしまう』と言うが、思っていないことは口から出てくるはずがなく、思っているから言うのだ」というもの。
悪い言葉は、心の中にあるから出てくるし、心が悪いから口も悪くなるのだ。
どうしようもない汚れた自分がここにいる。
それでも主は赦して下さるだろうか。
十字架を見れば、そこに答えはある。
こんな愚かな者をイエス様は愛して下さる。
命をかけて赦して下さる。
あまりに申し訳ないから、たった一つでもいいから、悪い言葉、悪い心を減らしていきたい。