エレミヤ13章20~27節、詩篇1篇、1ペテロ1章17節~2章1節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 13:20 目を上げて、北から襲う者を見よ。あなたにゆだねられた群れ 輝かしい羊の群れはどこにいるのか。
13:21 指導者として育てた人々が あなたから失われるなら あなたは何と言うつもりか。女が子を産むときのような苦しみが 必ずあなたをとらえるであろう。
13:22 あなたは心に問うであろう。「なぜ、このような事がわたしに起こるのか。」あなたの重い罪のゆえに 着物の裾は剥ぎ取られ、辱めを受ける。
13:23 クシュ人は皮膚を 豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも 正しい者となりえよう。
13:24 わたしはお前たちを散らす 荒れ野の風に吹き飛ばされるもみ殻のように。
13:25 これがお前の運命 わたしが定めたお前の分である、と主は言われる。お前がわたしを忘れ むなしいものに依り頼んだからだ。
13:26 わたし自身がお前の着物の裾を顔まで上げ お前の恥はあらわになった。
13:27 お前が姦淫し、いななきの声をあげ 淫行をたくらみ、忌むべき行いをするのを 丘でも野でもわたしは見た。災いだ、エルサレムよ。お前は清いものとはされえない。いつまでそれが続くのか。

詩篇 1:1 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
1:2 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず 罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

1ペテロ 1:17 また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。
1:18 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、
1:19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。
1:20 キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
1:22 あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
1:24 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。
2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、



キリストは、人としてこの世界に現れ、私たち全ての人の救いのために自らの命を犠牲として捧げられ、十字架にかけられて死なれたが、三日目によみがえり、死を打ち破ることのできる永遠の命を私たちにも与えられることを示して下さった。
この出来事は、私たちにとっては、すでに成し遂げられた救いの約束として聖書の御言葉を通して知らされている。
まだ全体像がつかめないような断片的な預言者の言葉ではなく、真の神の御子イエス様がそのご生涯を通して示して下さったものとして語られているのである。
ただ、それを単なる歴史の一コマとしてだけ捉えるのか、それとも、私たちの救いのために成し遂げられた神の御業として受け止めるのかによって、その後の意味は全く違ってくる。
信じるか、信じないかの違いではあるが、単に歴史上の出来事であったかということを信じるのともまた違う。
私のために神ご自身が成し遂げられた救いの御業であると信じるかどうか、それが問われている。
もちろん、信じることはそう簡単なことではないかもしれないが、もし信じることを選ぶなら、その先には大きな大きな祝福が約束されているのだ。
つまるところ、その祝福にあずかることを願うのか、願わないのか、といったところであろう。
神の成し遂げられた救いの約束を信じ、永遠の命にあずかる幸いを頂くのか、それとも、野の草のように、一時は花を咲かせても、やがて枯れ果て、散って終わりで良いのか、選ぶのは私たち自身である。
そういう意味では「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」との約束にあずかるものとなることを私は選びたい。