雅歌4章9節~5章1節、詩篇145篇、ルカ5章33~39節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

雅歌 4:9 わたしの妹、花嫁よ あなたはわたしの心をときめかす。あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も それだけで、わたしの心をときめかす。
4:10 わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。あなたの香油は どんな香り草よりもかぐわしい。
4:11 花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ 舌には蜂蜜と乳がひそむ。あなたの衣はレバノンの香り。
4:12 わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉。
4:13 ほとりには、みごとな実を結ぶざくろの森 ナルドやコフェルの花房
4:14 ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン 乳香の木、ミルラやアロエ さまざまな、すばらしい香り草。
4:15 園の泉は命の水を汲むところ レバノンの山から流れて来る水を。
4:16 北風よ、目覚めよ。南風よ、吹け。わたしの園を吹き抜けて 香りを振りまいておくれ。恋しい人がこの園をわがものとして このみごとな実を食べてくださるように。
5:1 わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。香り草やミルラを摘み 蜜の滴るわたしの蜂の巣を吸い わたしのぶどう酒と乳を飲もう。友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え。

詩篇 145:1  賛美。ダビデの詩。 わたしの王、神よ、あなたをあがめ 世々限りなく御名をたたえます。
145:2 絶えることなくあなたをたたえ 世々限りなく御名を賛美します。
145:3 大いなる主、限りなく賛美される主 大きな御業は究めることもできません。
145:4 人々が、代々に御業をほめたたえ 力強い御業を告げ知らせますように。
145:5 あなたの輝き、栄光と威光 驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
145:6 人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業をわたしは数え上げます。
145:7 人々が深い御恵みを語り継いで記念とし 救いの御業を喜び歌いますように。
145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
145:10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
145:11 あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。
145:12 その力強い御業と栄光を 主権の輝きを、人の子らに示しますように。
145:13 あなたの主権はとこしえの主権 あなたの統治は代々に。
145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
145:19 主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。
145:20 主を愛する人は主に守られ 主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは 世々限りなく聖なる御名をたたえます。

ルカ 5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
5:36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
5:37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
5:38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
5:39 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」


主なる神様は、命を与える神である。
人を生かすお方である。
だから、人が生きていくために必要なものは、この世界にある。
しかし、それをゆがめてしまっているのが人間であろう。
欲望と自己中心の罪ゆえに、力あるものが全てを自分のものにしようとし、格差や貧困、はては戦争や迫害といった悲しいことも生じてしまう。
イエス様は「古い服に新しい布を継ぎ当てたり、古い革袋に新しいぶどう酒を煎れたりすることはしないだろう」と仰せられている。
それは、もちろん、新しいものには新しいものをという意味もあるのだろうけれど、古いものも大切に扱おうとするなら、無理に新しいものをあてがうことをしないという優しさも感じられるのではないだろうか。
時代の変化と共に、様々なことが新しいものにおきかえられていく。
古い時代の価値観にとらわれたままの人は、なかなか新しいものを受け入れていくことは難しいかもしれないし、無理になじませなくてもいいのかもしれない。
大切なことは、新しいものも。古いものも、どちらも生かすことであろう。
どちらが正しいということではない。
それぞれにふさわしいやり方を選べる自由と寛容さも備えておきたいものである。