民数記16章20~35節、イザヤ11章1~9節、使徒28章23~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 16:21 「この共同体と分かれて立ちなさい。わたしは直ちに彼らを滅ぼす。」
16:22 彼らはひれ伏して言った。「神よ、すべて肉なるものに霊を与えられる神よ。あなたは、一人が罪を犯すと、共同体全体に怒りを下されるのですか。」
16:23 主はモーセに仰せになった。
16:24 「コラ、ダタン、アビラムの住まいの周りから離れるよう、共同体に告げなさい。」
16:25 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところに向かった。イスラエルの長老たちもついて行った。
16:26 彼は共同体に言った。「この神に逆らう者どもの天幕から離れなさい。彼らの持ち物には一切触れてはならない。さもないと、彼らの罪のために、あなたたちは滅びる。」
16:27 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいから離れた。ダタンとアビラムは、妻子、幼児と一緒に出て来て、天幕の入り口に立った。
16:28 モーセは言った。「主がわたしを遣わして、これらすべてのことをさせられたので、わたしが自分勝手にしたのではない。それは次のことで分かるであろう。
16:29 もしこの者たちが人の普通の死に方で死に、人の普通の運命に会うならば、主がわたしを遣わされたのではない。
16:30 だが、もし主が新しいことを創始されて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものすべてを呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるならば、この者たちが主をないがしろにしたことをあなたたちは知るであろう。」
16:31 こう語り終えるやいなや、彼らの足もとの大地が裂けた。
16:32 地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。
16:33 彼らと彼らに属するものはすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。彼らはこうして、会衆の間から滅び去った。
16:34 彼らの周りにいた全イスラエルは、彼らの叫び声を聞いて、大地に呑み込まれることのないようにと言って逃げた。
16:35 また火が主のもとから出て、香をささげた二百五十人を焼き尽くした。

イザヤ 11:1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち
11:2 その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。
11:3 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない。
11:4 弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち 唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
11:5 正義をその腰の帯とし 真実をその身に帯びる。
11:6 狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。
11:7 牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
11:8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。
11:9 わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。

使徒 28:28 だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
28:29 パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。
28:30 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、
28:31 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。


使徒言行録の最後の箇所には、激動の生涯を歩んできたパウロが、自費で家を借りてそこに住み、訪問してくる者はみな歓迎して迎え、何の妨げもなく神の国の福音を宣べ伝え、キリストについて教え続けた、と記されている。
その後、パウロがどうなったかについては書かれていないが、それまでの日常とは違った穏やかな暮らしの中にあっても、変わらず福音宣教に携わっていたであろうことが伺える。
終活とい言葉があるが、そろそろ人生の終盤に差し掛かってきていることを実感しつつ、人生の終わりに備えて生き方をシフトしていくことは大切なことであろう。
これまでできていたことが出来なくなったり、何もかも続けることはできないだろうし、寂しさを覚える人もいるかもしれない。
けれど、どんな変化があろうとも、その人らしい生き方というものはある。
これだけは譲れないというものを続けていくためには、それ以外のものについては、勇気をもって手放していくことも必要であろう。
最後の最後に自分に何が残るのか。
しかしそれは、今の自分にも当てはまることなのだろう。
なぜなら、明日、自分の命があるかどうかも分からない。
だとしたら、その時、最後の最後に残るものが、今の自分にとっても大切なものに違いない。

ルカ10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」