ダニエル7章1~8,15~18節、詩篇93篇、ヨハネ3章31~36節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル 7:1 バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである。ダニエルは、眠っているとき頭に幻が浮かび、一つの夢を見た。彼はその夢を記録することにし、次のように書き起こした。
7:2 ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。
7:3 すると、その海から四頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり、
7:4 第一のものは獅子のようであったが、鷲の翼が生えていた。見ていると、翼は引き抜かれ、地面から起き上がらされて人間のようにその足で立ち、人間の心が与えられた。
7:5 第二の獣は熊のようで、横ざまに寝て、三本の肋骨を口にくわえていた。これに向かって、「立て、多くの肉を食らえ」という声がした。
7:6 次に見えたのはまた別の獣で、豹のようであった。背には鳥の翼が四つあり、頭も四つあって、権力がこの獣に与えられた。
7:7 この夜の幻で更に続けて見たものは、第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。
7:8 その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。

詩篇 93:1 主こそ王。威厳を衣とし 力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
93:2 御座はいにしえより固く据えられ あなたはとこしえの昔からいます。
93:3 主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
93:4 大水のとどろく声よりも力強く 海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
93:5 主よ、あなたの定めは確かであり あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。

ヨハネ 3:31 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
3:32 この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
3:33 その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
3:34 神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が"霊"を限りなくお与えになるからである。
3:35 御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。
3:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」


聖書に記されている「終わりの時」に関することは、単に終末の預言について語られているわけではなく、その時に神の御業が現わされることを示している。
そのため、必ずしも世の終わりの時だけに関するものではなく、主イエス様がこの地上に現れる時という意味あいが強いということを覚えておく必要がある。
ダニエル書に記されていることなども、いったい何が書かれているのか不明なところも多いが、イエス様の到来の時期に関して書かれているとも言われている。
時が満ち、主イエス様は世に来られた。
その時に関することなのであろう。
一方、文字通り世の終わりの時についてはどうかというと、その時もまた、主イエス様はおいでになる、と聖書は語る。
しかし、もっと本質的なことを言えば、神の御言葉が語られる時、イエス様は言葉と共におられるお方であることを思うならば、私たちが聖書の御言葉に耳を傾け、み言葉を口にしていく時、そこにイエス様はおられるのだ。
そう考えるならば、毎日が終わりの時とも言える。
何が終わるのかと言えば、私自身の古い肉の人が終わるのであり、同時に、主イエス様の十字架の死と復活によってもたらされる新しい命がわたしのうちに始まるのである。
これが毎日経験することのできる「終わりの時」である。
私の終わりであり、主の始まりであり、それら全てを含め、アルファででありオメガである方が私と共にいて下さることを覚えたい。