イザヤ47章10~15節、詩篇91篇9~16節、ルカ22章24~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 47:10 お前は平然と悪事をし 「見ている者はない」と言っていた。お前の知恵と知識がお前を誤らせ お前は心に言っていた わたしだけ わたしのほかにはだれもいない、と。
47:11 だが、災いがお前を襲うと それに対するまじないを知らず 災難がふりかかっても、払いのけられない。思いもかけない時、突然、破滅がお前を襲う。
47:12 まじないと呪文の数々をもって立ち向かえ。若い時から労して身につけたものが あるいは役に立ち それを追い払うことができるかもしれない。
47:13 助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。天にしるしを見る者、星によって占う者 新月によってお前の運命を告げる者などを 立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。
47:14 見よ、彼らはわらにすぎず、火が彼らを焼き尽くし 炎の力から自分の命を救い出しえない。この火は体を温める炭火でも 傍らに座るための火でもない。
47:15 呪文を若い時から労して身につけ 売り物としてきた者すら、この様だ。彼らはおのおの勝手に迷って行き お前を救う者はひとりもいない。

詩篇 91:9 あなたは主を避けどころとし いと高き神を宿るところとした。
91:10 あなたには災難もふりかかることがなく 天幕には疫病も触れることがない。
91:11 主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。
91:13 あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり 獅子の子と大蛇を踏んで行く。
91:14 「彼はわたしを慕う者だから 彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
91:15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え 苦難の襲うとき、彼と共にいて助け 彼に名誉を与えよう。
91:16 生涯、彼を満ち足らせ わたしの救いを彼に見せよう。」

ルカ 22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」



人の上に立つ人には、二種類のタイプがあると思う。
一つは、文字通り、他人の上に立って、いろいろと指示をしたり命令をしたりして、人を動かすタイプで、一般的にはこちらが多いだろう。
一方、人の上に立っているようで、実際には共同体のために身を粉にして働くタイプもいる。
そういう人は、人の上に立っているようで、実際には、他者に仕える働きをしている。
そういう責任ある立場を押し付けられる人もいるが、なかには、自分から率先してそういう責任を引き受け、仕える仕事を担っていく人もいる。
そういう人は、本当に素晴らしい働きをするし、人々から尊敬もされるだろう。
普通の人にはなかなかできないことをこなしているからこそ、そういう人がいちばん偉いと言っても過言ではない。
人の上に立って人を動かしていくだけなら、案外だれにでもできることなのかもしれない。
誰にでもできることなら、それは偉い人ではない。
誰でも簡単にできないからこそ、偉いのである。
実に、イエス様とはそういうお方。
決して誰にもできないことをイエス様はなさった。
他人の罪を償うために、身代わりに死んで下さり、他人を救おうとされ、そのために仕えられたのである。
イエス様のなさったことは人間にはできなし、なかなかイエス様のように生きることは難しいが、少しでもイエス様に習い、誰かの救いのために仕える者とならせていただきたいものである。