ゼカリヤ6章9~15節、詩篇5篇、1ペテロ1章3~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ゼカリヤ 6:9 主の言葉がわたしに臨んだ。
6:10 「帰還した捕囚の中から、ヘルダイ、トビヤ、エダヤの家族から、贈り物を受け取りなさい。あなたはその日のうちに、ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。
6:11 銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、
6:12 宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。
6:13 彼こそ主の神殿を建て直し 威光をまとい、王座に座して治める。その王座の傍らに祭司がいて 平和の計画が二人の間に生ずる。
6:14 冠はヘレム、トビヤ、エダヤ、およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして、主の神殿に置かれる。
6:15 遠方からも人々が来て、主の神殿の建築に携わる。」こうして、あなたたちがひたすらあなたたちの神である主の声に聞き従うなら、万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる。

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

Ⅰペテロ 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。




ペテロの手紙の冒頭の箇所には「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」語られており、素晴らしい祝福が約束されていることが述べられている。
しかしそれらのことは「終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られて」いるものであり、それゆえ「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならない」とも語られている。
現実は厳しい。
しかし、信仰の目を開いて、神の祝福の約束に心を留めていくならば、たとえ厳しい試練の中に生きるにしても「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」というふうに、神が祝福された人生を歩ませて頂けるということなのだろう。
私たちの生きるこの世における現実と、目には見えなくても共に働いて下さる神の祝福と、そのどちらにも身を置きながら、与えられた日々の歩みを全うしていきたい。
なによりも、どんなに私たちが弱く、愚かな存在であったとしても、約束された神は真実なお方である。
そのことを覚えて、神に期待しつつ、今日一日を歩んで行こう。