申命記1章1~18節、詩篇19篇8~15節、使徒12章20~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 1:1 モーセはイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、一方にパラン、他方にトフェル、ラバン、ハツェロト、ディ・ザハブがあるスフに近いアラバにおいてであった。
1:2 ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは十一日の道のりである。
1:3 第四十年の第十一の月の一日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた。
1:4 モーセがヘシュボンに住むアモリ人の王シホンを撃ち、アシュタロトに住むバシャンの王オグをエドレイで撃った後のことであった。
1:5 モーセは、ヨルダン川の東側にあるモアブ地方で、この律法の説き明かしに当たった。
1:6 我々の神、主はホレブで仰せになった。「あなたたちは既に久しくこの山にとどまっている。
1:7 向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き、更にその近隣地方、すなわちアラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、沿岸地方に行きなさい。更にカナン人の土地、レバノン山、大河ユーフラテスにまで行きなさい。
1:8 見よ、わたしはあなたたちにこの土地を与える。」あなたたちは行って、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに、彼らとその子孫に与えると誓われた土地を取りなさい。
1:9 そのころ、わたしはあなたたちに言った。「わたしは、ひとりであなたたちの重荷を負うことはできない。
1:10 あなたたちの神、主が人数を増やされたので、今やあなたたちは空の星のように数多くなった。
1:11 あなたたちの先祖の神、主が約束されたとおり、更に、あなたたちを千倍にも増やして祝福されるように。
1:12 しかし、どうしてひとりであなたたちの重荷、もめ事、争いを負えるだろうか。
1:13 部族ごとに、賢明で思慮深く、経験に富む人々を選び出しなさい。わたしはその人たちをあなたたちの長としよう。」
1:14 あなたたちがわたしに答えて、「提案されたことは結構なことです」と言ったので、
1:15 わたしは、あなたたちの部族の長で、賢明な経験に富む人たちを選んで、彼らをあなたたちの長、すなわち千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とし、また、あなたたちの部族の役人とした。
1:16 わたしはそのとき、あなたたちの裁判人に命じた。「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。
1:17 裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう。」
1:18 わたしはそのとき、これらすべてのことをあなたたちのなすべきこととして命じた。

詩篇 19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ 主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え 主の戒めは清らかで、目に光を与える。
19:10 主への畏れは清く、いつまでも続き 主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく 蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
19:12 あなたの僕はそれらのことを熟慮し それらを守って大きな報いを受けます。
19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。
19:14 あなたの僕を驕りから引き離し 支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ わたしは完全になるでしょう。
19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない 心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

使徒 12:20 ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。
12:21 定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、
12:22 集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
12:23 するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。
12:24 神の言葉はますます栄え、広がって行った。
12:25 バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。



イスラエルの民を導いていたモーセは、日に日に自分の仕事が増えていき、ついに、その重荷を一人で背負う事が負担となっていき、民の中から賢明な経験に富む人たちを選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長などを任命して、部族を治めることにした。
モーセ一人がイスラエルの民全体を治めるには、あまりにも負担が大きすぎるため、仕事を分担していくことは好ましいことと言えるだろう。
ただし、そうなると今度は、責任の所在があいまいとなっていく恐れはある。
選んだ人たちが善良な人ならば良いけれど、中には自分勝手な人たちもいるだろうし、そもそも人は皆、多かれ少なかれ罪の性質を持っているから。仕事を分担していくことで、収拾がつかなくなる恐れはある。
結局は一人一人の良心が問われることとなる。
しかし、だからだろうか、モーセは「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう。」とも述べている。
人はみな愚かで弱く罪深い存在である。頭では正しく生きようと思っていても、心の奥底で罪の性質が働いてしまい、自分勝手な裁きを行おうとしてしまうのである。
組織は結局は一人一人の人間の集まりであるため、組織が有益なものとして機能していくためには、一人一人の生き方が問われて来るが、誰か一人がよこしまな行動をしていても、他の誰かが忠告したり、正したりすることもできる。
独りよがりにならないで、周りの意見にも真摯に耳を傾けていきながら、よりよい道を選んでいけるように、人は隣人と共に生きていくのかもしれない、

創世記 2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

弱い者だからこそ、独りで生きていこうせず、神と隣人とと共に生きていくものでありたい。