ヨシュア記6章1~21節、イザヤ38章10~20節、ヘブル11章29節~12章2節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア記 6:1 エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった。
6:2 そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。
6:3 あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。
6:4 七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。
6:5 彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」
6:6 ヌンの子ヨシュアは、まず祭司たちを呼び集め、「契約の箱を担げ。七人は、各自雄羊の角笛を携えて主の箱を先導せよ」と命じ、
6:7 次に民に向かって、「進め。町の周りを回れ。武装兵は主の箱の前を行け」と命じた。
6:8 ヨシュアが民に命じ終わると、七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の前を行き、主の契約の箱はその後を進んだ。
6:9 武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。
6:10 ヨシュアは、その他の民に対しては、「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ」と命じた。
6:11 彼はこうして、主の箱を担いで町を回らせ、一周させた。その後、彼らは宿営に戻り、そこで夜を過ごした。
6:12 翌朝、ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担ぎ、
6:13 七人の祭司はそれぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の箱の前を進んだ。武装兵は、更にその前衛として進み、また後衛として主の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。
6:14 彼らは二日目も、町を一度回って宿営に戻った。同じことを、彼らは六日間繰り返したが、
6:15 七日目は朝早く、夜明けとともに起き、同じようにして町を七度回った。町を七度回ったのはこの日だけであった。
6:16 七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。
6:17 町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。
6:18 あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。
6:19 金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。」
6:20 角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。
6:21 彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。

イザヤ 38:10 わたしは思った。人生の半ばにあって行かねばならないのか 陰府の門に残る齢をゆだねるのか、と。
38:11 わたしは思った。命ある者の地にいて主を見ることもなくなり 消えゆく者の国に住む者に加えられ もう人を見ることもない、と。
38:12 わたしの生涯は羊飼いの天幕のように 引き抜かれ、取り去られてしまった。わたしはわたしの命を織物のように巻き終わり 糸から切り離されてしまった。昼も夜も あなたはわたしの息の根を止めようとされる。
38:13 夜明けまでわたしはそれを甘んじて受け 獅子に砕かれるように わたしの骨はことごとく砕かれてしまう。昼も夜も あなたはわたしの息の根を止めようとされる。
38:14 つばめや鶴のように わたしはすすり泣きの声をあげ 鳩のようにわたしは呻く。天を仰いでわたしの目は弱り果てる。わが主よ、わたしは責めさいなまれています。どうかわたしの保証人となってください。
38:15 わたしは何と言えば答えてもらえるのか そのようなことをなさる主に。わたしは心に苦痛を抱きながら すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。
38:16 主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。わたしの霊も絶えず生かしてください。わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。
38:17 見よ、わたしの受けた苦痛は 平和のためにほかならない。あなたはわたしの魂に思いを寄せ 滅びの穴に陥らないようにしてくださった。あなたはわたしの罪をすべて あなたの後ろに投げ捨ててくださった。
38:18 陰府があなたに感謝することはなく 死があなたを賛美することはないので 墓に下る者は あなたのまことを期待することができない。
38:19 命ある者、命ある者のみが 今日の、わたしのようにあなたに感謝し 父は子にあなたのまことを知らせるのです。
38:20 主よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で わたしの音楽を共に奏でるでしょう。

ヘブル 11:29 信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。
11:30 信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。
11:31 信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。
11:32 これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。
11:33 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、
11:34 燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。
11:35 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。
11:36 また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。
11:37 彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、
11:38 荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。
11:39 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。
11:40 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。
12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
12:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。





ヘブル人への手紙の箇所には、旧約聖書に登場する人たちの信仰の歩みが記されている。
彼らは特別に信仰心が強かったとか、信仰によって何事か凄いことを行ったとか、そういう風に思われがちである。
しかし、信仰とは、神を、とりわけ神が語られた言葉や約束された言葉を信じて、その通りに生きる、ということを表す言葉に他ならない。
たとえば、旧約聖書には様々な律法の言葉が記されているが、それらの言葉を語られた通りに守ろうとし、神の言葉に従って生きようとすることを「信仰」と表現しているであろう。
では、私たちが信じて従うべき神の約束の言葉とは何であろうか。
それを知るためには、新約聖書を見る必要がある。
新約聖書には、神の御子であられる主イエス様が私たちの救いのために自らの命を捨てて十字架で死に、よみがえって下さったことが記されている。
それは、私たちが同じように「習う」ことよりも、むしろ、私たちにできないことを身代わりに成し遂げて下さったと受け取るべきであり、イエス様が私の身代わりに罪の処罰を引き受けて下さったからこそ、もはや私たちが完全に赦され、神の御前に滅ぼされることのない永遠の命を与えられたものとして立たせて頂けるのである。
この救いの約束の言葉を信じて受け入れることこそ「信仰」なのである。
だから信仰とは、それほど難しいことを要求しているわけではなく、むしろ、すっかり神に委ねていられる安心や幸いがあることを覚えたいものである。
神様の愛と祝福を、恵みと平安を、喜んで受け取ろうではありませんか。