サムエル記上28章20~25節、詩篇34篇2~9節、ローマ15章1~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 28:20 サウルはたちまち地面に倒れ伏してしまった。サムエルの言葉におびえたからである。また彼はこの日、何も食べていなかったため、力が尽きていたのである。
28:21 その女はサウルに近づき、サウルがおびえきっているのを見て、言った。「はしためはあなたの声に聞き従いました。命をかけて、あなたが言った言葉に聞き従ったのです。
28:22 今度は、あなたがはしための声に聞き従ってください。ささやかな食事をあなたに差し上げますから、それを召し上がり、力をつけてお帰りください。」
28:23 サウルは拒み、食べたくないと言った。しかし、家臣もその女も強く勧めたので、彼らの勧めに従い、地面から起き上がって、床の上に座った。
28:24 女の家には肥えた子牛がいたので急いで屠り、小麦粉を取ってこね、種なしパンを焼いた。
28:25 女が、サウルと家臣にそれを差し出すと、彼らは食べて、その夜のうちに立ち去った。

詩篇 34:2 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
34:3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
34:4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
34:5 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
34:6 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。
34:7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き 苦難から常に救ってくださった。
34:8 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。
34:9 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。

ローマ 15:1 わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。
15:2 おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。
15:3 キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。
15:4 かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。
15:5 忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
15:6 心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。


昨日、教会ではお葬儀が行われた。
ご遺族の方々に主の慰めがあることを祈りつつ、無事に終えることができ感謝であった。
ご遺族の中で最年長の90歳の姉妹は、随分と体も弱られて、式中、立ったり座ったり、歩いて移動したりするたびに、お孫さんやひ孫さんがずっと寄り添って手を貸してもらっていた。
とても麗しい光景である。
しかし、お孫さんたちもまた、幼い頃は、この90歳の方に何度も抱っこしてもらったり、いろんなことを助けてもらっていた。
言わば、当然の恩返し、といったところであろう。
かつて自分を助けてくれた人を、今度は自分が助けてあげるといったことは、当然のことのように思えるが、最近ではなかなかこういった光景を見ることも少なくなっているのかもしれない。
ちなみに、このたび召された方は、齢99歳で大正生まれの方で、何事もきっちりと自分でなされる方であったらしい。
しかし、よる年波には勝てず、晩年は認知症を患い、受け入れがたい現実であったのであろうけれども、自分のことが自分でできなくなる悲しさなども含め「キリストさんにお世話になろうかな」と言って、80を過ぎてから信仰を受け入れられたようである。
受け入れられたというより、自分の弱さを認め、神に自分を委ねたということであろう。
人は誰であっても、歳を重ねるごとに衰えていく。
自分の事ですら少しずつできなくなっていく現実と向き合っても行かねばならないし、それはなかなか難しいことであろう。
そんな時、自分を委ねていくことができることは、本当はとても幸いなことである。
お孫さんやひ孫さんたちに手を引かれて歩いていた姿を見て、委ねることの幸いを覚えた一日であった。