エレミヤ7章27~34節、詩篇123篇、マタイ8章18~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 7:27 あなたが彼らにこれらすべての言葉を語っても、彼らはあなたに聞き従わず、呼びかけても答えないであろう。
7:28 それゆえあなたは彼らに言うがよい。「これは、その神、主の声に聞き従わず、懲らしめを受け入れず、その口から真実が失われ、断たれている民だ。」
7:29 「お前の長い髪を切り、それを捨てよ。裸の山々で哀歌をうたえ。主を怒らせたこの世代を 主は退け、見捨てられた。」
7:30 まことに、ユダの人々はわたしの目の前で悪を行った、と主は言われる。わたしの名によって呼ばれるこの神殿に、彼らは憎むべき物を置いてこれを汚した。
7:31 彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。
7:32 それゆえ、見よ、もはやトフェトとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれることなく、殺戮の谷と呼ばれる日が来る、と主は言われる。そのとき、人々はもはや余地を残さぬまで、トフェトに人を葬る。
7:33 この民の死体は空の鳥、野の獣の餌食となる。それを追い払う者もない。
7:34 わたしはユダの町々とエルサレムの巷から、喜びの声と祝いの声、花婿の声と花嫁の声を絶つ。この地は廃虚となる。

詩篇 123:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます 天にいます方よ。
123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。
123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
123:4 平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。

マタイ 8:18 イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。
8:19 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
8:20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
8:21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」


教会付属の幼稚園には、毎日可愛らしい子供たちが元気よく通園してくる。
半分くらいの子たちは、両親のどちらかが自家用車で送迎してこられ、残りは通園バスでやってくるようである。
いずれにしても、どのお子さんも、穏やかなご家庭で愛されて育てられていることが伺える。
今のご時世、保育園ではなく幼稚園に子供たちを通わせられるご家庭というのは、比較的恵まれた環境にあるご家庭が多いのだろうと思う。
それでも一人一人の園児たちには、それぞれの家庭があり、どの家庭もみな環境は異なるのだろう。
一見、恵まれた環境の中にくらしているように見えても、目に見えないところで何等かのストレスを抱えている子もいるかもしれない。
あるいは、もう既に受験戦争の枠に組み入れられて、幼い頃から英才教育がすでに始まっているのかもしれない。
子ども達がどんな環境の中で暮らしているのか詳しいところまでは分からないが、せめて教会幼稚園であった時には、元気よく挨拶をして受け入れてあげたい。
「あなたはイエス様に愛されているよ」ということを伝えるのが私の役割だろうから。