エレミヤ7章1~15節、詩篇123篇、1コリント4章8~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 7:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。
7:2 主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。
7:3 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。
7:4 主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。
7:5 -6この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。
7:7 そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。
7:8 しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。
7:9 盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、
7:10 わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。
7:11 わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。
7:12 シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。
7:13 今や、お前たちがこれらのことをしたから――と主は言われる――そしてわたしが先に繰り返し語ったのに、その言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、
7:14 わたしの名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、わたしはシロにしたようにする。
7:15 わたしは、お前たちの兄弟である、エフライムの子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちをわたしの前から投げ捨てる。」

詩篇 123:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます 天にいます方よ。
123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。
123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
123:4 平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。

1コリント 4:8 あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。
4:9 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。
4:10 わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。
4:11 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、
4:12 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、
4:13 ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。

最近になって、政治家による裏金問題などがクローズアップされるようになり、政治不信を招いている、とニュースなどで報道されている。
しかし、こうしたことは、おおよそ前から分かっていたことであって、むしろ、そういったお金に群がる人たちが大勢いて、互いに利害関係があるがゆえに、問題だと指摘することをしてこなかっただけなのではないだろうか。
では、なぜ最近になってこの問題が「問題だ」と言われるようになってきたかと言うと、これまで利害関係にあった人たちの間にも格差が拡がり、不公平だとか不正だとか叫ばれるようになってきたからなのだろう。
王と呼ばれる人たちや、政治を司る人たちが、自分の富や利益だけを優先して物事を行っている国は、繁栄することはないし、ましてや神に祝福されることもない。
もし本当に選挙の時に言っているように、国民のことを思い、国民のために政治を司っているのなら、政治家は貧しいはずだし、おおよそそんなことのために出馬したいと思う人などいないのだろう。
人間は罪人であり、己の欲望に支配された生き物なのだから、仕方ないことなのかもしれない。
しかし、主なる神様はそういうお方ではない。
人のため、自らの命をも犠牲にしてまで救おうとされたお方。
どうか、そのようなお方を知ることで、本当の祝福を受け取る人が増えますように。