アモス書9章7~15節、詩篇22篇26~32節、マルコ4章30~32節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス書 9:7 イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは クシュの人々と変わりがないではないかと 主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から ペリシテ人をカフトルから アラム人をキルから、導き上ったではないか。
9:8 見よ、主なる神は罪に染まった王国に目を向け これを地の面から絶たれる。ただし、わたしはヤコブの家を全滅させはしないと 主は言われる。
9:9 見よ、わたしは命令を下し イスラエルの家を諸国民の間でふるいにかける。ふるいにかけても 小石ひとつ地に落ちないように。
9:10 わが民の中で罪ある者は皆、剣で死ぬ。彼らは、災いは我々に及ばず 近づくこともない、と言っている。
9:11 その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す。
9:12 こうして、エドムの生き残りの者と わが名をもって呼ばれるすべての国を 彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
9:13 見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒された町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。
9:15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。

詩篇 22:26 それゆえ、わたしは大いなる集会で あなたに賛美をささげ 神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
22:27 貧しい人は食べて満ち足り 主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
22:28 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。
22:29 王権は主にあり、主は国々を治められます。
22:30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく 主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得
22:31 -32子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。

マルコ 4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」


少子高齢化による人口減少社会では、これまでのような右肩上がりの発想をしていては、何もかも上手くいかなくなっていくのは当然のことであろう。
成長することだけが正義のように考えていても、現実がそうでないのならば、それに見合った考え方や選択をしていかなければならないだろう。
いろいろなことを縮小させていくのか、それとも、可能な限り現状を維持していくことを優先するのか、現実をしっかり見極め、受け入れていく覚悟も必要である。
神の国は土に蒔く時は地上のどんな種よりも小さくても、やがて成長してどんな野菜よりも大きくなり、空の鳥が巣を作れるほど大きな枝をはると語られているが、これは「神の国」のことについてであることを覚えなければならない。
この世の国についての約束ではない。
むしろ、地上においては、神の国に属するものは、からし種ほどの小さなものでしかないというのが現実である。
しかし、見た目には小さな小さなからし種であっても、神の目には、そこに大きな枝を張り巡らせた巨木が立っているようなものと言うことであろう。
誰の目にもとまらない小さな働きで構わない。
大切なことは、そこに神の国の一端が現わされているかどうか。
大きな事、目立つこと、人から賞賛されるようなことでなくても、何も問題はない。
忠実に、主なる神様が私に示して下さったこと、現わして下さってこと、共にいて下さることを信じて、今日も小さな歩みを大切にしよう。