アモス書8章1~7節、詩篇22篇26~32節、使徒8章1~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス書 6:1 災いだ、シオンに安住し サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し イスラエルの家は彼らに従っている。
6:2 カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き ペリシテ人のガトに下れ。お前たちはこれらの王国にまさっているか。彼らの領土は お前たちの領土より大きいか。
6:3 お前たちは災いの日を遠ざけようとして 不法による支配を引き寄せている。
6:4 お前たちは象牙の寝台に横たわり 長いすに寝そべり 羊の群れから小羊を取り 牛舎から子牛を取って宴を開き
6:5 竪琴の音に合わせて歌に興じ ダビデのように楽器を考え出す。
6:6 大杯でぶどう酒を飲み 最高の香油を身に注ぐ。しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
6:7 それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き 寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。

詩篇 22:26 それゆえ、わたしは大いなる集会で あなたに賛美をささげ 神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
22:27 貧しい人は食べて満ち足り 主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
22:28 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。
22:29 王権は主にあり、主は国々を治められます。
22:30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく 主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得
22:31 -32子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。

使徒 8:1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
8:1 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
8:3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
8:7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
8:8 町の人々は大変喜んだ。



皮肉なことであるが、宣教の働きは、クリスチャンに対する迫害が拡がるのにつれて、世界の各地に拡がっていった。
もちろん、福音を宣べ伝えていた人たちは、家や町を追われた人たちであったのであろうから、普通に生活することすら困難な中にありつつも、福音を宣べ伝えていったということであろう。
そもそも彼らが宣べ伝えていった福音とはなにか。
福音とは喜びの知らせという意味であるが、彼らのおかれていた状況は、決して喜ばしい環境とは程遠いものであったに違いない。
それでも彼らには大きな喜びがあった。
この世のどんな満たされた生活や楽しい催し事などなくても、彼らにはイエス・キリストによる救いの約束の言葉があり、それこそが最高の喜びであったし、それさえあれば十分であった、ということなのであろう。
彼らはキリストによる救いの約束の言葉を宣べ伝えた。
そして、そこには大きな喜びがあり、福音を聞いた人々のうちにも大きな喜びがもたらされたことであろう。
喜びとは何だろう。
モノに満ちあふれていなくても、楽しいイベントなど無くても、神が私を愛し、イエス様が命をかけて救って下さったことを知る福音の言葉を聞く人生は幸いである。