歴代誌上11章1~9節、詩篇95篇、黙示録7章13~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

歴代誌上 11:1 すべてのイスラエル人はヘブロンのダビデのもとに集まり、こう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。
11:2 これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。あなたの神、主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがわが民イスラエルの指導者となる』と。」
11:3 イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデはヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちは、主がサムエルによって告げられたように、ダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
11:4 ダビデはすべてのイスラエル人と共にエルサレムに向かった。この町はエブスと言われ、エブス人がその地の住民であった。
11:5 エブスの住民はダビデに、「お前はここに入れまい」と言った。しかし、ダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。
11:6 ダビデは、「真っ先にエブス人を撃ち倒した者が頭となり、将軍となる」と言ったが、ツェルヤの子ヨアブが真っ先に攻め上って頭となった。
11:7 ダビデはこの要害に住んだ。それゆえ、それはダビデの町と呼ばれるようになった。
11:8 彼は町の周囲をミロから一周するまで築城して固め、ヨアブは町の他の部分を修復した。
11:9 ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
95:8 「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように 心を頑にしてはならない。
95:9 あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。
95:10 四十年の間、わたしはその世代をいとい 心の迷う民と呼んだ。彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。
95:11 わたしは怒り 彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」

黙示録 7:13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
7:15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。
7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」


人はだれも勝ちたい。
勝利者となって、栄誉を自分のものにしたいと願う。
しかし、勝利とはなんだろう。
何に対して勝利するというのだろう。
昨日、図書館で本を読んでいたら「敵は怒りである」といった言葉を目にした。
怒りを向ける相手が敵ではなく、怒っている自分自身が敵なのだと。
私たちはいったい何と戦い、何に勝利すべきなのだろう。
自分のうちにある罪こそ戦うべき相手であり、勝利すべき対象なのではないか。
しかし、それができないから、したくないから、自分の外に敵を定めて攻撃しようとするのではないか。

コロサイ1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。

罪の奴隷となり、滅びることしかできなかった私たちを、イエス様は自らの命をかけて救って下さった。
罪の奴隷から解放し、永遠の死を打ち破り、まことの命にあずからせるために。
ここに、本当の勝利がある。
私たちの力では成し得なかったけれども、神が与えて下さる恵みのを通して与えられる勝利の約束を、素直に信じて受け取りたいものである。