創世記48章8~19節、詩篇23篇、マルコ6章30~34節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 48:8 イスラエルは、ヨセフの息子たちを見ながら、「これは誰か」と尋ねた。
48:9 ヨセフが父に、「神が、ここで授けてくださったわたしの息子です」と答えると、父は、「ここへ連れて来なさい。彼らを祝福しよう」と言った。
48:10 イスラエルの目は老齢のためかすんでよく見えなかったので、ヨセフが二人の息子を父のもとに近寄らせると、父は彼らに口づけをして抱き締めた。
48:11 イスラエルはヨセフに言った。「お前の顔さえ見ることができようとは思わなかったのに、なんと、神はお前の子供たちをも見させてくださった。」
48:12 ヨセフは彼らを父の膝から離し、地にひれ伏して拝した。
48:13 ヨセフは二人の息子のうち、エフライムを自分の右手でイスラエルの左手に向かわせ、マナセを自分の左手でイスラエルの右手に向かわせ、二人を近寄らせた。
48:14 イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。
48:15 そして、ヨセフを祝福して言った。「わたしの先祖アブラハムとイサクが その御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで 導かれた牧者なる神よ。
48:16 わたしをあらゆる苦しみから 贖われた御使いよ。どうか、この子供たちの上に 祝福をお与えください。どうか、わたしの名と わたしの先祖アブラハム、イサクの名が 彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に 数多く増え続けますように。」
48:17 ヨセフは、父が右手をエフライムの頭の上に置いているのを見て、不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。
48:18 ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」
48:19 ところが、父はそれを拒んで言った。「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

マルコ 6:30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。


イエス様は、人が多くて食事をする暇もないほど働いていた弟子たちに、人里離れたところへ行って休むように命じている。
イエス様は弟子たちを宣教の働きに遣わしてはいるが、食事を取る暇もないほど働くようにとは望んでおられない。
むしろ、神が与える救いの約束は、様々なしがらみから解放され、永遠の安息にあずかることであるならば、働くことよりも休むことの方が大切であると言っても過言ではない。
働きながらでも食事を取る事はできるかもしれないが、しっかりと休みを取ることはなかなか難しい。
多くの人は、休みの日にも仕事のことを考えていたり、実際に仕事をしてしまう人もいるだろう。
仕事があることは良いことだが、休む暇もなく働き続けることは好ましいことではない。
神が創造の御業において、7日目に安息日を設けられたことは重要なことである。
私たちを安息に与らせるために、安息日は設けられた。
神の救いの御言葉を聞き、自分の業に頼るのではなく、神の恵みに信頼し、安心して生きることができるように、そして、喜んで働くことができるように。
聖日は魂の安息を頂くために、恵みの礼拝にあずかろう。