ダニエル書9章1~19節、詩篇4篇、1ヨハネ2章18~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル書 9:1 ダレイオスの治世第一年のことである。ダレイオスはメディア出身で、クセルクセスの子であり、カルデア人の国を治めていた。
9:2 さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った。
9:3 わたしは主なる神を仰いで断食し、粗布をまとい、灰をかぶって祈りをささげ、嘆願した。
9:4 わたしは主なる神に祈り、罪を告白してこう言った。「主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、
9:5 わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。
9:6 あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。
9:7 主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。
9:8 主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。
9:9 憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。
9:10 あなたの僕である預言者たちを通して与えられた、律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。
9:11 イスラエルはすべて、あなたの律法を無視し、御声に耳を傾けませんでした。ですから、神の僕モーセの律法に記されている誓いの呪いが、わたしたちの上にふりかかってきたのです。あなたに対して罪を犯したからにほかなりません。
9:12 わたしたちにも、わたしたちを治めた指導者にも告げられていた主の御言葉は成就し、恐ろしい災難が襲いました。エルサレムに下されたこの災難ほど恐ろしいものは、いまだ天下に起こったことはありませんでした。
9:13 モーセの律法に記されているこの恐ろしい災難は、紛れもなくわたしたちを襲いました。それでもなお、わたしたちは罪を離れて主なる神の怒りをなだめることをせず、またあなたのまことに目覚めることもできませんでした。
9:14 主はその悪を見張っておられ、それをわたしたちの上に下されました。わたしたちの主なる神のなさることはすべて正しく、それに対して、わたしたちは御声に聞き従いませんでした。
9:15 わたしたちの神である主よ、強い御手をもって民をエジプトから導き出し、今日に至る名声を得られた神よ、わたしたちは罪を犯し、逆らいました。
9:16 主よ、常に変わらぬ恵みの御業をもってあなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください。わたしたちの罪と父祖の悪行のために、エルサレムもあなたの民も、近隣の民すべてから嘲られています。
9:17 わたしたちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。
9:18 神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。
9:19 主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、御自身のために、救いを遅らせないでください。あなたの都、あなたの民は、御名をもって呼ばれているのですから。」

詩篇 4:1  指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩。
4:2 呼び求めるわたしに答えてください わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください 憐れんで、祈りを聞いてください。
4:3 人の子らよ いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか むなしさを愛し、偽りを求めるのか。
4:4 主の慈しみに生きる人を主は見分けて 呼び求める声を聞いてくださると知れ。
4:5 おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り そして沈黙に入れ。
4:6 ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。
4:7 恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。
4:8 人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを わたしの心にお与えください。
4:9 平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに わたしをここに住まわせてくださるのです。

1ヨハネ 2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
2:19 彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。
2:20 しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
2:21 わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。
2:22 偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。
2:23 御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。
2:24 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。
2:25 これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。


預言者ダニエルは文書を読んでいて、主が預言者エレミヤに告げられたようにエルサレムの荒廃の時が終わるまでに七十年という年数のあることを悟った、と語られている。
七十年と言えば、おおよそ一人の人間が生涯を全うし、次の世代、もしくあ次の次の世代に代わっていく年数と言えるだろう。
ダニエルは、イスラエルの民にもたらされた裁きは、自分たちの世代と父祖の世代の民が犯したことによる神の裁きであることを述べ、子孫には及ばないことを述べている。
裁きとはそういうものであろう。
誰かの犯した罪の裁きが、その子孫に及ぶという事だと、罪を犯した者に対する裁きが正しく行われないことになるし、罪を犯していないものが先祖の犯した罪の裁きを背負うとなると、それこそおかしな話である。
もちろん、同じ時代に生きる人は、少なからず親の影響などを受けることは避けられないが、基本的には、自分が犯した罪の裁きは自分が担うべきであろう。
それゆえの70年という年月であると考えられる。
私たちの属している教会では、最初に立てられた教会から順次70年を迎え、昨年は幾つかの教会で70周年を記念する行事が行われたり、記念誌が発行されたりしている。
70年もの間、教会の働きが守られてきたことは感謝なことである。
しかし、今の時代を生きるもの、これからの時代を担って生きていく人に、これまでの歩みややり方を押し付けるのはどうなのだろう。
時代も価値観もずいぶんと変わってきているし、今の時代にあった生き方を模索して何ら問題はない。
しかし、変わらないこともある。
変えてはいけないこともある。
私たちを創り、生かし、贖い、そして再び生かして下さる主なる神を信じて生きること。
そこは変わることなく、大切に守っていきたい。
そのために大切な事は、聖書の言葉を大切にすること。
語られている御言葉に忠実に耳を傾けていくこと、である。
今を生きる全ての人に、生きて働かれる主イエス様が共におられることを感謝しつつ。