申命記16章1~8節、詩篇118篇1~2,19~29節、フィリピ2章1~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 16:1 アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。
16:2 あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主に屠りなさい。
16:3 その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない。
16:4 七日間、国中どこにも酵母があってはならない。祭りの初日の夕方屠った肉を、翌朝まで残してはならない。
16:5 過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、
16:6 ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。夕方、太陽の沈むころ、あなたがエジプトを出た時刻に過越のいけにえを屠りなさい。
16:7 それをあなたの神、主が選ばれる場所で煮て食べ、翌朝自分の天幕に帰りなさい。
16:8 六日間酵母を入れないパンを食べ、七日目にはあなたの神、主のために聖なる集まりを行い、いかなる仕事もしてはならない。

詩篇 118:1 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
118:2 イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。
 118:19 正義の城門を開け わたしは入って主に感謝しよう。
118:20 これは主の城門 主に従う人々はここを入る。
118:21 わたしはあなたに感謝をささげる あなたは答え、救いを与えてくださった。
118:22 家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。
118:23 これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。
118:24 今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
118:25 どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。
118:26 祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。
118:27 主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。祭壇の角のところまで 祭りのいけにえを綱でひいて行け。
118:28 あなたはわたしの神、あなたに感謝をささげる。わたしの神よ、あなたをあがめる。
118:29 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

フィリピ 2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。


もうすぐイエス様のご復活をお祝いするイースターの季節を迎える。
イースターを迎えるということは、その前にイエス様が十字架にかけられて殺された出来事があったということを思い起こす季節でもある。
春分の頃がその時期にあたるが、イエス様は春分の頃に行われる過ぎ越しの祭りの時に捕らえられ、十字架にかけられ、処刑された。
それはまさに、過ぎ越しの祭りの際にほふられる生贄の小羊のようであった。
エジプトからイスラエルの民を救い出すために、小羊の命をいけにとしてほふり、個々の家の門の周りにその血を塗り、そのしるしのある家は災いを過ぎ越すことができたという。
イエス様が私のために犠牲となって死んで下さったおかげで、わたしたちもまた、イスラエルの民のように、災いを過ぎ越し、滅びから解放されるのである。
イエス様を信じたところで、一見、何も変わらないように思えるかもしれないが、イエス様を信じる者は、もはや永遠に滅びることはない。
嘆き悲しむことも、失われることも、永遠に苦しむこともない。
この世に生きている間は、様々な事で嘆いたり、悲しんだり、失ったり、苦しんだりすることもあるかもしれないが、主なる神様は、そこから私たちを救いだすためにイエス様を送り、十字架にかけられ、死なれたのである。
このイエス様の十字架の死の意味、目的、もたらされる祝福を覚え、この季節を、この日を、この時を過ごしたいものである。