民数記22章22~28節、詩篇35篇、1コリント7章32~40節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 22:22 ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった。バラムはろばに乗り、二人の若者を従えていた。
22:23 主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たろばは、道をそれて畑に踏み込んだ。バラムはろばを打って、道に戻そうとした。
22:24 主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。道の両側には石垣があった。
22:25 ろばは主の御使いを見て、石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたので、バラムはまた、ろばを打った。
22:26 主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。
22:27 ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。
22:28 主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」

詩篇 35:1  ダビデの詩。 主よ、わたしと争う者と争い わたしと戦う者と戦ってください。
35:2 大盾と盾を取り 立ち上がってわたしを助けてください。
35:3 わたしに追い迫る者の前に 槍を構えて立ちふさがってください。どうか、わたしの魂に言ってください 「お前を救おう」と。
35:4 わたしの命を奪おうとする者は 恥に落とされ、嘲りを受けますように。わたしに災いを謀る者は 辱めを受けて退きますように。
35:5 風に飛ぶもみ殻となった彼らが 主の使いに追い払われますように。
35:6 道を暗闇に閉ざされ、足を滑らせる彼らに 主の使いが追い迫りますように。
35:7 彼らは無実なわたしを滅ぼそうと網を張り わたしの魂を滅ぼそうと落とし穴を掘りました。
35:8 どうか、思わぬ時に破滅が臨み 彼らが自ら張った網に掛かり 破滅に落ちますように。
35:9 わたしの魂は主によって喜び躍り 御救いを喜び楽しみます。
35:10 わたしの骨はことごとく叫びます。「主よ、あなたに並ぶものはありません。貧しい人を強い者から 貧しく乏しい人を搾取する者から 助け出してくださいます。」

1コリント 7:32 思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
7:33 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、
7:34 心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
7:35 このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
7:36 もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。
7:37 しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。
7:38 要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。
7:39 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。
7:40 しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。


何事も、自分の思うように事が運ばないことは多々ある。
そんな時、無理を押して強引に事を進めても、どこかで齟齬が生じてしまい、下手をすれば破綻してしまうことになる。
上手くいかないことは、最初からどこか間違っている事が多いし、うすうす間違いであることは気が付いているのかもしれない。

先日、テレビのニュースで男女の別れ話がもつれて、殺人にまで発展してしまった事件が紹介されていた。
そんなことになる前に、なぜ、そんな人と付き合おうとしたのかとか、いろいろと思う事もあるが、誰もが付き合いを始める前は、自分を良く見せようと必死にアピールするだろうし、純粋な人なら簡単に騙せてしまうかもしれない。
けれど、騙される方も、しっかりと物事を見極める目を持っていれば、そうそうおかしなことにはならないとも思うけれど、やはり人は誘惑に弱いし、自己の都合のよい仕方で様々なことを解釈してしまう事が多いし「こんなはずでは無かった」と、後になって後悔することも多いのだろう。
夫婦として共に生きていくことを考えた場合でも、独身の時より夫婦として生きる時間の方がずっと長いことを考えるならば、一時の感情などで決めるより、しっかりと話し合い、確かめ合うことはとても大切だろうと思うし、共に生き始めてからも、価値観を変えたり、忍耐や協調性を保って行くことは必要なことであろう。

ローマ5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

「夫婦生活は忍耐が大事」といったことを聞くことがある。
もちろん、そういう側面もあると思うが、それらを経て、もっと幸いなところへ導かれていく。
信仰の歩みも同じ。
忍耐することがあっても、私たちは希望へと導かれ、やがて揺るぎない救いの約束へと導かれていく。
それは幸いなことであるし、感謝なことである。
自分の思いや願いばかりを優先し、わがまま勝手気ままな生き方から解放され、忍耐しているようでも、神の恵みのもと、まことの自由な生き方へと導かれていることを覚えて生きていきたいものである。