箴言8章1~21節、詩篇46篇、マルコ3章13~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 8:1 知恵が呼びかけ 英知が声をあげているではないか。
8:2 高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち
8:3 城門の傍ら、町の入り口 城門の通路で呼ばわっている。
8:4 「人よ あなたたちに向かってわたしは呼びかける。人の子らに向かってわたしは声をあげる。
8:5 浅はかな者は熟慮することを覚え 愚か者は反省することを覚えよ。
8:6 聞け、わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き、公平について述べ
8:7 わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきこととし
8:8 わたしの口の言葉はすべて正しく よこしまなことも曲がったことも含んでいない。
8:9 理解力のある人には それがすべて正しいと分かる。知識に到達した人には それがすべてまっすぐであると分かる。
8:10 銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ 精選された金よりも、知識を受け入れよ。
8:11 知恵は真珠にまさり どのような財宝も比べることはできない。
8:12 わたしは知恵。熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている。
8:13 主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道 暴言をはく口を、わたしは憎む。
8:14 わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。
8:15 わたしによって王は君臨し 支配者は正しい掟を定める。
8:16 君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆 わたしによって治める。
8:17 わたしを愛する人をわたしも愛し わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。
8:18 わたしのもとには富と名誉があり すぐれた財産と慈善もある。
8:19 わたしの与える実りは どのような金、純金にもまさり わたしのもたらす収穫は 精選された銀にまさる。
8:20 慈善の道をわたしは歩き 正義の道をわたしは進む。
8:21 わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼らの倉を満たす。

詩篇 46:1  指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。
46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
46:3 わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも
46:4 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。
46:5 大河とその流れは、神の都に喜びを与える いと高き神のいます聖所に。
46:6 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
46:7 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。
46:8 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
46:9 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
46:10 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
46:11 「力を捨てよ、知れ わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」
46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

マルコ 3:13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。
3:14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、
3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。
3:16 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。
3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。
3:18 アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19 それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。


イエス様が弟子たちを選び、常にそばに置いておこうとされたのは、彼らに御自分の働きを見聞きさせ、キリストの証人として世に遣わすためであった。
もちろん、彼らを教育・訓練し、立派な弟子に育て上げることもできたのであろうけれども、彼らに神の国を見させ、そして体験させることを重視しておられたのである。
なぜなら、人が体験したことというのは、誰にも否定することも取り上げることもできないからである。
ユダヤ人がどんな境遇にあっても生き抜くために教育に力を入れていたと言われているが、自分で学んで得たものは、他者に奪い取ることなどできないものだからである。
神を知るということは、イエス様に出会っていくこと。
箴言の知恵の言葉も、擬人化した表現が用いられ、そこに知恵者なる人格が存在していることを知ることができる。
まことの知恵者、それがイエス様。
こうして聖書に記されている御言葉を通してイエス様に出会っていく中で、私たちは自分の救いが確かなものであることを知り、さらにそれが自分の人生を建て上げていくことになることを体験していく。
イエス様との人格的な出会いこそ、救いの確信と言えるだろう。
友達と、家族と、知人と出会っていくように、今日もイエス様と出会い、祈りを通して対話を重ね、共に歩んでいくものでありたい。